SATTYのDREAM LIFE!

人生はたくさんの夢と物語でできているのだ。空想と妄想がつまった私の日記。

眠気に強炭酸×強カフェインと噂の「ペプシ ストロングゼロ」は効かなかった、私の場合。

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午後二時。やつがやってきた。

やろう、足音もたてずに忍び寄ってきやがった。学校で授業にいそしむスチューデンツや、エクセルとにらめっこするビジネスメンを、瞬く間に恐怖のどん底へと突き落とす、憎むべき存在。

やつの名は睡魔。

誤解してほしくないのだが、私はというとそれは真面目に働くことを希望していたのだ。働きたい、、働きたい、、あぁ働きたい、とうなされるほどに、山積みとなった資料作りに取り組もうとしていた。はず。

しかし、背後からスルリと近づいてきたやつに、「あなた、今から働かなくていいから・・」という、リストラ肩たたきばりの有無を言わさない威圧感でもって、脳内をトントンされた。

ホァ。私はその非情な宣告を受け入れるしかないのか。悔しさのあまりに歯ぎしりでもしてしまいそうだった。実際には、だらしなくも半分ほど口を開いたただの会社員がそこにいたはずだ。

しかし、私は思った。生きるために、定められた時間を働かねばならない会社員である以上、甘んじて受け入れている場合ではない。たとえ、勝ち目のない勝負であろうとも、あきらめたらそこで試合は終わるのだ。誰ががいっていた。

なんとか、やつを倒す術を見いだしたい。生きるために、生き抜くために 。画期的な必勝法にたどり着いた暁には、全世界の戦うビジネスメンから、羨望のまなざしでもって讃えられるはずである。伝説の偉人として、歴史に名を刻む、それも悪くない。

朦朧と重くなる瞼と、崖っぷちギリギリの戦いを続けながら、ただでさえ弱りつつある脳みそを駆使して、ありとあらゆる可能性を考えた。

眠気にあらがう方法を試す

親指と人差し指の間、眠気に効くというツボを全力で刺激してみる。痛気持ちいいだけで変化なし。少々お腹がゴロゴロとうなりだし、予想外にトイレに駆け込む羽目になる。おそるべし、睡魔。

ついでに、カフェインを大量摂取してみる。強炭酸×強カフェインと噂の「ペプシ ストロングゼロ」。

 

http://www.pepsi.co.jp/products/lineup/img/img-pepsi-strong-zero.png

引用:ペプシ公式HP

これさえあればメッタメタのボッコボコだ。一口含んで、ビリビリくる刺激に勝利の祝杯をあげそうになるも、いかんせん持続力に乏しすぎた。1コンマ3秒後。すでに眠い。

こいつは・・飲み続けなきゃぁ、ダメなやつだ・・

違うのだ、私はただ働きたいだけなのだ。ここでひたすらコーラを飲んでいるわけにはいかない。しかも、超刺激コーラを悲痛なまでに暗い顔でなめている私に、周囲が疑いすら持ち始めている。「こいつ・・眠いんじゃね?」事態は深刻だ。

眠気の原因は・・・神だった

アプローチを変えてみた。そもそもなぜこれほどまでに眠いのか。原因をつきとめ、根本から根こそぎバスターだ。

そもそも眠気とは何なのか、それをまず調べる。すると眠気の元となる「睡眠物質」にアデノシンというやつがあるらしい。

参考:なぜ、コーヒーを飲んでも眠くなるのか? | ビーカイブ

 

やつの正体はこいつか。アデノ・・神・・。いかにも支配力の強そうなやろうだ。

アデノ神は、脳内に居座り一定レベルを越えると私の脳みそが「もう寝た方がいいよ」と、やさしい彼女みたいに潤んだ上目遣いでささやくらしい。

貧弱な脳みそめ。つまりはこういうことか。

アデノ神「くかかかか・・・おろか人よ。働くがいい。なにも知らずに呑気なものよ」

脳みそ「うぅん、うぅん、アデノ神さまぁ。そんな意地悪しないでくださいー」

アデノ神「やかまし!ほーら、もう少し、もう少し」

脳みそ「きゃーーーー」

アデノ神「越えたーーー許容値越えたーー、ほれ!行ってこい!」

脳みそ「もうちょっと待ってください・・」

アデノ神「もうダメー、これ以上待てないー」

脳みそ「ひーーん・・いってきますぅ・・」

・・・

・・

「ねぇ・・・もう・・・寝よ?」

・・というわけだろう。知らんけど。

食べたら眠くなるとかのダブルパンチ

さらに私は恐ろしい事実に気づいた。・・・天丼だ・・・。昼に平らげた天丼が私の胃袋にデンと居座り、いっこうに消化の気配を見せないのが、うっすら気がかりではあった。今やおそらく胃袋には体中の血液という血液が集結している違いない。

くそっ、つまりはこういうことか。

血液「すまん・・俺・・胃袋んとこいくわ・・」

脳みそ「ずっと!私のそばで、見守っててくれるって!いったじゃん!」

血液「あいつ、俺がいなきゃだめなんだ・・」

脳みそ「なんで・・?ねぇ、なんで?」

血液「天丼がさ、天丼があいつを苦しめてるんだ・・」

脳みそ「ひどいよ、わたし・・眠くなっちゃうよぉぉ」

血液「おまえなら、大丈夫だよ。一人で頑張れる子、だからさ」

いつだって、弱い女には勝てないっていうのかよぉ・・。そんなことはどうだっていい。

結局眠気に勝つにはこれしかない・・

私はアデノ神にぶちのめされて、さらには惚れた血液にすら捨てられるというズタボロ状態のまま、ひたすらツボを押し続け、持続性のないペプシをなめ続けた。

しかしそれも時間の問題。いつしか意識がとぎれがちになり、瞼がついに世界を遮断しようとした、そのとき。

ぺらぱーぴぴーぽろろーぴぴぺー

私のケイタイの着信がなった。まぬけなラッパのメロディーにビクリと体が反応する。

バクバクバクバクと心臓が波打つ。さっきまでのアデノ神なんぞ、どこのどいつだと言わんばかりに、私の脳内は覚醒した。

いつだって、結末は突然に訪れる。私の脳裏には、高らかと勝利の拳を突き上げる心の臓の姿が見えた。まごうことなき英雄の姿が。

救いはいつも己の中にある。それを呼び覚ませるかどうかは、自分次第だ。

 

と、いう懺悔をここに。

 

それでは今日はこの辺で。

また、次のお話で。

又吉直樹著【東京百景】をよんで。0か100か、白か黒か、それとも。

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Ángelo González | Flickr - Photo Sharing!

昔から私は何かを成そうという時に、0か100かを求める節があったように思う。

0の時はこれから何者にでもなれるという未来の自分への期待に胸が高揚する。100の時のことは、おそらくこれまでの人生でまだ知らない。知らないのだけど、100なんじゃないかと錯覚するような瞬間は、また恍惚としていて心地がよい。世間的にはこれを自分に酔っているという。

裏を返せば、たとえば20とか30とかの状態を避けて生きてきた。形になる気配もまだ漂わず、これはこのまま続けても何者にもなれないんではないか、と不安だけがつきまとうような、苦悩の20から30。

世の中で成功者と呼ばれる人たちは、みな気がつけば100を越えている人だと信じていた。0から始まり、20も30も知らずに「あれ、今100じゃね?」と気づく。それが才能であり才覚だと。私はそんな選ばれしスーパースターになりたかった。もっとわかりやすくいうと、苦労も努力も嫌いな甘えん坊だった。

苦悩の20にさしかかる頃に、頭の中で声が聞こえる。

「20に自分に気づいちゃってる時点で、ハイ、オツカレってとこかな。」

さすればどうするか。0に戻ればよい。「潔さ」「割り切り」という便利な言葉を身につけ、また違う何かを探しに行く。なぜなら0の状態に戻れば、また自分に期待をすることができるからだ。それは都合がよく、何より楽だ。

しかしいよいよ30年以上も生きていると、新しい何かを探すのにも苦労する。映画でもとりますか、女優にでもなりますか、お面職人にでもなりますか、心理学者にでもなりますか。そして人生が終わるまで、それを何度も繰り返しますか。

周りを見渡して、遅ればせながらに気がつくと、5や10を悶絶し、20も30も吹き飛ばし、40も50も嬉嬉として、60、70、80、90と地獄を楽しみ続けたものこそが、スーパースターだった。

白でもない黒でもないグレーで鬱々とした苦悶に喜びを見いだせたものこそが、それを語る術を知るのだ。
 
と、こんな気難しい文章を書いているのには理由があって、又吉直樹さんの「東京百景」を読んだ。
 
東京百景 (ヨシモトブックス)

東京百景 (ヨシモトブックス)

 

 

 やりたいこととやるべきことの狭間で葛藤することを正当な苦悩だと信じて甘えていた。
一部の人にしか伝わらない深さを持つ交渉な作品は確かにある。わかりやすく大勢の人を引きつける作品も確かにある。しかし、作る側がそんな市場を意識するのは作品の弱点を補うための言い訳に過ぎないのかもしれない。悩むのも、割り切るのも自己弁護に過ぎないのかもしれない。
 
又吉直樹著「東京百景」より

 

彼は私からみれば、才能の塊のような人だけど、彼は決して突如100にたどり着いたスーパースターではなかった。自伝のように語られる100のエッセイから匂い立つ、フツフツと煮詰まった自意識や混沌とした苦悩。

寄り添えない不可思議な感覚もあれば、同化しそうなほどの共鳴も感じる。白でも黒でもないグレーな感じが、心地よく胸に迫る良書だった。
ああ、思い知る。生きていることなんて、答えのでないグレーばかりだ。苦労知らずの甘ちゃんが目指す20の壁は遙かに遠い。
 
それでは今日はこの辺で。
また、次のお話で。

書道でもない、筆文字でもない、「心書(しんしょ)」の秘密

こんにちは。SATTYです。

今日は、7月26日に埼玉で開催された「心書(しんしょ)」ワークショップの体験レポートをお届けします。

超「夏」な埼玉県浦和市浦和駅から徒歩30秒のところにある会場にて、ワークショップは行われました。

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ワークショップとか、何年ぶりだよ、という感じのSATTYです。しかも「心書」。正直なところまったく自分のジャンルの外にありましたからね、これ。ブログやっていなかったら、一生ご縁すらなかったものかもしれません。

講師 蓮見可奈恵さん

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べっぴんさんです、はい。とても物腰柔らかで、女性的な、笑顔がたまらんべっぴんさんです。しかし・・あなどるなかれ・・。彼女はただのべっぴんさんではない・・。

 その秘密はワークショップの中で明らかになる・・・。とりあえず、このまま読んでくんさい。

ワーク1 Before作品を書いてみよう

まずは、いつも通りに「感謝、ありがとう」という言葉を筆で書いてみます。いつも通りといっても、日常的に筆なんか使ってないもんですから、プルプルプルプルと震える手。

アーーーフルエルワーー、フルエテルワーーーー

この時SATTYが考えていたことは、これに尽きます。気持ちを込めるどころの騒ぎじゃぁございません。

パソコンで打てば3秒くらいで書けちゃう短い言葉なのにね。手で書くっていうのは難しいもんだね。

そして出来上がったのが、こちらです。

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これお母さんとかに送ったら、どんな反応するかしら。おいおい、どうした、娘。これは遺書か?と心配すること間違いなしでしょう。

参加者のみなさんもそれぞれに、書き上げました。

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ワーク2 「心書」の書き方講座 

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蓮見先生から、「心書」ってなに?どうやってやるの?といったレクチャーが行われました。書く前にちょっとしたお作法のようなものがあるんですね。

「誰に」向けて書くのか、「どんなテーマ」で書くのか

まずは、これを明確に設定します。それから、目を閉じてその人へ向けた気持ちを心いっぱいに感じてから、書き出す。やり方はこれだけ。

ふふんふん、できるできる。できそうな気がスルーーーー。そんな私の甘ちゃんな考えは、この後めっためたに打ち砕かれるとは露知らず・・・

ワーク3 これが「心書」だ!蓮見先生のデモンストレーション 

蓮見先生がここでデモンストレーションをしてくれました。書く言葉はさっきやったのと同じく「感謝」「ありがとう」。

気持ちの良い音楽がかかり、そっと目を閉じた蓮見先生。フーフーと静かに呼吸をしながら、ジッと気持ちを集中させています。

すると・・・蓮見先生の目から、ボロボロと涙がこぼれ出す。ビビりました、私。あ・・これ写真撮っちゃいけん、邪魔しちゃいけん、とっさにそう思って彼女の様子に釘付けになりました。

何考えているんやろう、誰を思っているんやろう、ジッと見つめているとふいに蓮見先生が動き出しました。そこからはもう見事な筆さばきと、すごい勢いであっという間に作品が出来上がっていきます。

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まったく雰囲気の違う二つの作品を書き上げた蓮見先生。参加者はみんな、これが「心書」か・・と見惚れていました。

ナメテいたぜ、心書・・・。綺麗で優しい蓮見先生の内に秘めた情熱を垣間見た瞬間でした。感動のパフォーマンスでした。

ワーク4 今までの常識を忘れて、いろんな線を書く 

蓮見先生のデモンストレーションで、ゆるゆるの気持ちを引き締めた私。ちゃんと書いてみたいと思って、真面目に取り組みましたとも。優等生ですから、もともと。小学校では学級委員とかやってましたから。

心書を自由に表現するために、太い線・細い線・なみなみ・ポテっとした点・・といろいろな書き方を練習します。

お習字の時間には、絶対やっちゃダメーと言われていたタブーも、心書では問題なし。グリグリと筆を押し付けたり、二度書き三度書きなんのその。カスカスにかすれた線もまた味わいになり、紙からはみ出しても気にしない。

小さな頃に、落書き帳いっぱいにグリグリとクレヨンで書きまくっていた、あの感覚に似ています。あー、これ楽しい。気がつけば夢中で筆を縦横無尽に動かしている自分がいました。

ワーク5 さて、そろそろ集大成の作品作りへ

最後に、Afterとなる作品作りをします。好きな言葉を書いていいよということで、私はこのブログのマスコットでもあるバクを意味する「夢喰」にしよーと、決めていました。「心書」で「夢喰い」とはどうかとも思いながらも、自分のために、自分に向けて、書こうと。

先ほどの蓮見先生のデモにならって、みんな目を閉じます。静かに音楽が流れる中、蓮見先生が語りかけてきます。

「誰のために書きますか?」「その人と過ごした思い出はなんですか?」・・・

すると、私の脳内に変化が起きだします。夫・Dスケさんが頭の中に自然と登場したんですね。一緒に過ごした時間や、訪れた場所や、喧嘩したことや、優しいシワだらけの笑顔や・・・

自分のためじゃないなぁ、Dスケさんに向けた言葉を書きたいなぁ、そう思った私。目を開けて書いた言葉は「夢喰(い)」ではなく、「夢叶(える)」。一緒に夢を叶えよう、たった一人の愛する夫に向けた、メッセージになりました。

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はずかしいなぁ、おい。しかし、満足満足・・

SATTY的まとめ

作品を作るんだと思って参加しました。でも、今回のワークショップで学んだのは、何より自分と向き合う時間の作り方。集中して、気持ちを高めていくことで、大切なことや大切な人をちゃんと大切に思えたり、もやもやして自分でも分からなかったことが、スーッと晴れていったり。

本来の自分に、ちゃんと戻っていけるような時間を、意識して作ることって気持ちいいもんなんだなぁと。それって、特に時間や仕事に追われたり、ストレスを解消するゆとりを持てなかったりする人に、とても大切な時間ではないかしら。

心書は、心を見つめる書。それを実感したワークショップとなりました。とても新しい発見と、満ちた時間を過ごすことができました。蓮見先生、参加したみなさん、どうもありがとう。

参加したステキな人たち

今回の参加者は、「存じ上げてますとも〜〜」とテンションあがるブロガーさんたち。

ダレデキブログのおっちゃん

Hu-mediaで活躍中のミズホさん

愛情!友情!俺かみじょーのかみじょーさん

頼もしいスタッフ甲斐さん

ワークショップの後の懇親会も超楽しかった♪ 

以上、現場からSATTYがお届けしました。

それでは今日はこの辺で。

また、次のお話で。

なんだか自由になりてぇわ、だから「心書」やってみることにする【イベント告知】

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こんにちは、SATTYです。今日はイベントのお知らせです。

蓮見可奈恵さんという方に出会いました。 彼女は心を書く、心書アーティスト。ミラノ万博にも出展が決まったという、注目のアーティストさんです。

「心書」という自由

彼女の言葉を借りると、心書とは「『心』を自由に表現するその人オリジナルの書」。

ルールもなく、正解もなく、型もなく、ただ感じたままに筆を滑らせ、言葉に心を乗せた作品を作るということ。

どうやろう?ちょっと難しそうかな。そうかもしれない。「自由」っていうのは、実は結構難しい。

絵でも音楽でも、なんでもそうだけど、「自由」に何かを作るというのは、人によってなかなか大変だったりする。私もそのタイプで、お手本がないとどうすればいいかわからないし、正解を探してしまうし、ちょっとでも「上手」になりたいと思ってしまう。

「自由」な表現は、自分の中身をさらけ出すようで、なんだか恥ずかしい。

その一方で、「自由」に表現できる人に強烈な憧れも持っていたりする。臆することなく、堂々と、そのままの自分を表現する。それは、その人の内面から溢れる自信のようにも見えて、臆病ものの私は一歩引いたところから、コッソリと指をくわえて眺めている。

自分だけの世界というものを、誰しもがきっと持っていて、それを自らが楽しめるかどうか、酔いしれるかどうか、「自由」ってそういうことじゃないかと私は思う。

そしてもしかしたら、私と同じように「自由」に憧れている人に、心書はきっかけを作ってくれるんじゃなかろうか。

お手本も何もない、自分だけの世界に没頭することの楽しみ方を教えてくれるんじゃなかろうか。(私、ガチで参加しますw)

言葉を選ぶ楽しみ

文字を書くという行為は、小さな時から親しんできた人が多いと思う。ちょっとしたメモでも、日記でも、手紙でも、作文でもいい。おそらく、人生の長さの分だけなんらかの言葉を綴ってきただろう。

でも、その時「主役にするための言葉を選ぶ」ことって、実はあんまりないんじゃないかな。文章を組み立てるために言葉を使う。文章を伝えるために適した言葉を選ぶ。大事な部品として言葉を使うことが、きっと多い。

心書は、選んだ言葉がそのまま作品になる。その時書きたい言葉、込めたい気持ち。例えばたった一文字でも構わない。その時その言葉を選んだことが、そのまま私の表現になるんだろう。

そういえば私は高校生の頃、一度だけ心書に近しいことを経験したことがある。書道の授業で、好きな文字を一文字、自由奔放に書くというものだった。

その時私が選んだ文字は「運」。思春期真っ只中、なぜにこの文字を・・と今になって思うけれど、「運命」というものへの抵抗や、「運」を引き寄せる力への憧れ、といった様々な若い葛藤が込められた言葉だったことを、懐かしく、こそばゆく記憶している。

言葉に宿る力はすごい。それが、自分が選び自分が書いたものであればなおのこと。その当時の記憶とともに特別な言葉として、自分の中に残っていく。私は、もう20年も前に書いたあの「運」を今だに大切に持っている。

さて、大人になった私はどんな言葉を選ぶのだろう。

蓮見可奈恵さんの「心書」

自慢のようだけど、というか、自慢なのだけど、先日迎えた私の誕生日に、蓮見さんが素敵な心書をプレゼントしてくれた。本当に嬉しかった。言葉というのは、人を喜ばすことのできるプレゼントになるのだと、実感した。

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誰かのために、自分のために、言葉を選んで書くことを楽しむ。少しだけいつもと違う時間になるのではないかしら。そんな期待をしながら、私も参加するよ!

イベントの詳細

日時:2015年7月26日(日)14時~16時30分

開催場所:埼玉県さいたま市浦和区東仲町1−23 浦和駅東口石井ビル3F レンタルスペース・ホーリィ

定員:30名(定員数になる前に、お早めにご連絡を・・・ )

参加料金:5,000円

参加特典:筆ペン、らくがき帳、蓮見可奈恵さんデザインのTシャツ

↓お申し込みはこちらから↓

 それでは今日はこのへんで。

また、次のお話で。

 

『ごはんのおとも』と、山下くんのお弁当

フーフー・・・ハム。・・モムモム・・・ンムンム・・・ゴクン。
フーフー・・ハフッ・・・・ンムンム・・ンフッツ、ブフッ・・・オホオホ・・ゴホッ・・ング。

・・・ハー・・ ・・・

あ、こんばんは。SATTYです。

いやぁ、すみません。お見苦しいところを。いや、いま食事中でして。優雅なレストランからお届けしています。ちなみにガストです。

毎日の中で、やっぱり食事の時間っていうのは大切ですね。美味しいもの食べたら、ホッコリ幸せになります。

三大欲求っていうじゃないですか。食欲、睡眠欲、性欲?人間の本能から芽生えるこの欲求って、すごく心に近いところにありますよね。

睡眠が足りないとイライラしちゃったりするし、性欲は恋心に繋がってますね。そして「食べる」ことは、ものすごく幸せを感じたり、懐かしくなったり、それからギュッと切なくなったりすることも、ありませんか?

私はたまに、人がご飯を食べてる姿をみて、なぜか猛烈に切なくなることがあるんですよ。

ご飯を食べてる時って、基本的にすごくみんな正直な姿になる。本能のままに動いているわけですから。 誰に見せるでもなく、着飾るでもなく、目の前にある食べ物と向かい合って、ただ食べる。

人の「 素」の姿が見えるというか。その姿に、すごい哀愁が漂ってたり、寂しそうだったりすることが、たまーにあるんですよね。本当のところ、知らないんですよ。本人はめちゃくちゃノリノリなのかもしれないし、勝手に哀愁漂わせるなって思われるかもしれないけど、あるんですよ。

それで、そういう光景を目にしたとき、いっつも思い出すことがあります。小学生のとき同級生だった山下くんのこと。今日はそんな話です。

ごめんな、山下くん

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小学校4年生のころ、同じクラスにいた山下くん。確か3人の妹がいるお兄ちゃんやったかな。

山下くんは、結構なヤンチャもので、まぁよく先生に怒られてた。顔にも手にも傷をいっぱい作って、冬でも半袖で走り回りガハガハ笑うガキ大将。山下くんはいい子やったけど、ちょっと怖かった。

その日は給食がお休みの日で、みんな家からお弁当を持ってきてた。子供ってお弁当が大好きやから。待ちわびたお昼ご飯の時間、私たちはいつも以上にはしゃいでた。

すると、山下くんがこういう。

「お弁当のフタが、あかへん」

今でもあるかな、フタを閉めて両サイドのパタパタしたやつを、パチンって閉じるやつ。 あれさ、密閉されすぎてフタが張りついてまうことがあるねんよ。もうちょっとたつと、空気穴がついたやつとか出てくるんやけど、山下くんのお弁当箱は違うかった。

山下くんのお母さん、あったかいご飯をぎゅーぎゅーに詰めたんやろな、ピッタピタに張り付いて、横のパッチンを外しても開かへん。

「貸して」

私は山下くんのお弁当箱を受け取って、フタを外そうとがんばる。でも、ビクともせえへん。私が、意地になってウンウンうなってると、山下くんが先生に呼ばれた。

「山下、お前ちょっとこい」

あー、これまた怒られるな・・・と私は思った。先生の顔が明らかに鬼やったし、お弁当の時間に呼び出すとか、よっぽどやから。 山下くんは行ってしまった。私にお弁当を託して。

これは、開けたらなあかん、と変な気概をみせて私はウンウンとさらに頑張った。

ウンウンウンウン頑張ってたら、もう力を入れすぎてしまって、容赦なくなってしまって、アッて思った時にはもう遅かった。 開いてん、フタは開いてん。でもそのままひっくり返って、地面に落ちた。

教室の木の床の上に、逆さまになったお弁当箱。

ーやってしもた・・・・・・

とっさに私は、お弁当箱に手を伸ばして、拾い上げる。そしたらな、山下くんのお弁当は、それは見事な日の丸弁当で、山下くんのお母さんがぎゅーぎゅーにご飯を詰め込んでたから、お弁当はなんにもこぼれることなく、キレイに元通り。

・・・えっと・・これは、良かったんか・・?・・でも落ちたけど・・・ご飯は床についてしもたけど・・・えっと・・3秒ルールかな・・さっき掃除終わってるし・・・いや・・でも・・・・

小学4年生の私が、狼狽しているところに山下くんが帰ってくる。

山下くんは泣いていた。よっぽどこっぴどく叱られたんやろうか、しゃくりあげるほどに泣いていた。あの山下くんが。

・・・何してん、山下くん。なんで泣いてるん・・・

山下くんは、私が開けたお弁当箱をみて、一言泣きながら 「ありがとう」 と言った。 そして、そのまま、うぐっうぐっと泣きじゃくりながら、日の丸弁当を食べ始めた。

まっすぐにお弁当を見つめて、ご飯を食べる山下くんの背中が、あまりにも悲しすぎて、だってそのお弁当、私落としてしもたし、でも山下くんはもう食べてしまってるし、なんかよく分からへんけど、たまらなくなって、私も泣いた。

山下くんは、ちょっとビックリして「お前何泣いてんねん!」って言って、ちょっと笑ってた。その泣き笑いをみて、私の涙はまた吹き出した。

どうしても言えんかった・・・

「山下くん、お弁当落としてごめん」って。

ごめん、ごめんなぁ、山下くん。

 

私は今でも、ご飯を食べる人をみて、なんとなく切ない気持ちになった時、山下くんを思い出して胸がキュッと 痛くなる。

『ごはんのおとも』たな著

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引用元:Amazon.co.jp: ごはんのおとも: たな: 本

ごはんにまつわる、キュッと切なくなったり、幸せになったりする人たちの話が描かれた「ごはんのおとも」。私はグルメ漫画が大好きなのですが、この本は、最近の中で一番のお気に入りです。

描かれているごはんの絵が、それはそれは美しくて美味しそうで、眺めているだけでもヨダレとホッコリが一緒に楽しめるフルカラーの本。

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ちょっと頑張りすぎちゃった男の人、初めての一人暮らしに家族を想う女子大生、長年連れ添った奥さんに先立たれたおじいちゃん、たくさんの人が集まる小さなお店の話です。

少しづつそれぞれの登場人物の人生が絡み合っていくこの物語を読み終わった時に、私はなんとも言えない幸せで切ない気持ちになりました。いいよ、すごく。

この本のことを紹介したくて、目の前できのこ雑炊をすすっているお兄さんを見てたら、なんだか切なくなってきて、山下くんに想いを馳せた今日の夜でした。

 

・・・・ピンポーン

「あ、すいません、抹茶プリンサンデーひとつお願いしますー」

あぁ、食欲が止まらない・・・

 

それでは今日はこのへんで。

また、次のお話で。

「わたしと×××、どっちが大事なの!?」を、ちょっと解説してみます。

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by flashcurd

「だいたいいっつもさ、わたしのことなんてほったらかしじゃん!!」

 

ーピッ(一時停止)

こんばんは。SATTYです。

えー現在絶賛喧嘩中のカップルが一組。このセリフのあとに続く言葉、もしかしてあなたもご存知じゃない?はい、大きな声でーーー

『わたしと×××、どっちが大事なの!?』

はい、その通り!わりと有名な言葉ですね。ちなみに、このカップルの場合この名セリフを言っているのは女性の方です。これは男女入れ替わる時もありますね。ケースバイケースですね、はい。

このやりとりの感想としてよく聞かれることが、あります。「あー、それ言っちゃぁダメでしょー、そのセリフはダメでしょー」。これですね。だいたい、言われた彼氏とかが友達にその話をした時に聞く鉄板の感想ですね、はい。多いの、実に多いのこれ。

先ほども話した通り、カップルの喧嘩なんてケースバイケースですからね。一概にどっちがどーとか言えないんですけども。せっかくなんでね、わたし今日は全面的に『わたしと×××、どっちが大事なの!?』を言っちゃった方の肩をもってみたいと思います。

「どっちが大事なの!?」言った側の心境

まず言いたいのが、『わたしと×××、どっちが大事なの!?』って、言っちゃぁダメかもしれないけど、言わせちゃぁダメですよ。おっと、早くもブーイング、待って、待ってて。ちょっととにかく、言ってしまった彼女の声を聞いてみましょう。

ーピッ(解除)

スンスン・・スンスン・・グスン

「彼が新しい仕事を任されて、すごくチャンスなんだっていうのはわかってます。家に帰ってきても夜遅くまで仕事仕事。一生懸命頑張っているのは知っています。でもなかなか休みもとれないし、メールもなかなかくれないし、わたしといるより仕事している時のほうが楽しそうにすら思えるんです。わたしだけ何だか置いてきぼりをくってるみたいで、本当は応援してあげたいのに、できなくて・・・グスン」

ーピッ(一時停止)

・・ズビーーーーッ。聞いた?ねぇちょっと聞いた?もう、泣くわよ、泣きますよ。

生き生きと頑張る彼への羨望、嫉妬、寂しさ、不安、こういう複雑な感情が相まって、言いたくないのに言わずにいられない言葉、それが・・・・・あれ、違う?

何言ってんだ、こちとら仕事だってんだよってんだ?メール返してこないとかマジ勘弁してくれよ、こっちだってしんどいんだよーって。

やめてーーーーー!もう、やめたげてーーーーーー。

失礼。まぁおっしゃりたいことはわかるんですけどね、ちょっとわたしの話を聞いてください。

 新しい変化は消耗する、でもきっと楽しい

人間って基本的に新しいもの好きですよね。新しい出会い、新しい仕事、新しい環境、新しい1日。変化は怖いけど、同時にものすごく心をときめかせてくれる。

刺激的ですよねー、夢中になりますよね。もっと仲良くなりたい、成果をだしたい、次はどうしようか、今度はどんなワクワクがあるんだろう、そんな風に思いません?

ところが、誰でも1日24時間。新しいものがそこに加わってくれば、どうなるでしょう。

時間、足りないですよねー、疲れますよねー。体と心に負担がかかる分、何かをやめなきゃいけなくなる。新しいものに夢中になればなるほど、後回しにするものもたくさん生まれます。

うまく調整できる人はいいんです。そういう人はだいたいわたしと×××、どっちが大事なの!?』は言われない人なんです。

調整できない人、目の前のことに一生懸命になってしまう人は何を犠牲にするか?

きっと、許してくれるものから犠牲にしていく気がするんです。多少の無茶をゆるしてくれる「自分の体」かもしれないし、もしかしたら何を言っても許してくれる「大切な人」かもしれません。

大事な人ほど、許してくれる

あなたのそばにいてくれる人、あなたをわかってくれる人、応援してくれる人、そういう人こそきっと大事にしなきゃいけない。なのに、そういう大事な人ほど「許してくれること」「理解してくれること」「応援してくれること」をあなたはきっと知っている。

あなたが頑張らなくても当たり前のようにそこにいてくれる人を、「このくらいわかってくれるよね?」と、少しづつ犠牲にして、頑張らなきゃ手に入らない新しいものを手に入れようとしているんです。

ほらほらほら、ちょっとそんな気がしてきたでしょ。思い返せば一つや二つ、あるんじゃない?

なにも、頑張っているあなたを責めようってんじゃないんです。完璧なんて難しい。あっちもこっちも100%ができたらいいんだけど、そうもいかない。

ただ一つ、そのことを知っててほしい。余裕ができた時でいいから、本当は大事な人のことを大切にしてあげてほしい。気づいた時に、伝えてあげてほしい。

ーピッ(解除)

「はい、わたしです。SATTYです。いや、もうまさにわたしその状態でして、はい。あんまり毎日やることもたくさんあって、新しい出会いもたくさんあって、いつも側で見守っててくれる人のことを、悲しませてしまっています、はい。ごめんね、ごめんね。前も謝ったけど、本当にごめんね。ちょっと後で、電話するよ。ね、そこのあなた。ごめんね、いつも本当にありがとう。心から、はい。」

・・・

ザザザザザーーーー本日の放送は終了しました。

 

それでは今日はこのへんで。

また、次のお話で。

マクドナルドのポテトはどのように食べるのか問題における、ある男女のトラブル

男女とは、進化し続ける奇跡である。

わたしのような若輩者が語るには少々大きすぎるテーマであるが、今夜は勝手ながらこの男女という生き物について、真面目に語ってみたいと思う。

マクドナルドのポテトはどのように食べるのか?

男女を語るために、まず考えていただきたいことがある。わたしの記憶では確か10年以上前から、根深い問題として議論されていること。

マクドナルドのポテトはどのように食べるのか問題』である。

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引用元:McDonald's Japan

今のところ、わたしの周辺においてマクドナルドのポテトを食べたことがない人はいない。みなが、小さなころから親しみ愛し続けている味の一つだと考えている。

ケンタッキーじゃないねん。マクドのポテトが食べたいねん。

これは、わたしの故郷で頻繁に発せられるワードである。太さ、塩気、食感、そのすべてにおいて、人々は大きな関心をよせている。

まったく男女に触れないままにここまで書き連ねていることから、ある程度は察していただきたいのだが、わたしもまた、マクドナルドのポテトを愛する一人である。

物心ついたころから、わたしの側にはドナルド・マクドナルドがいたし、赤く光る唇に吸い込まれそうになった。「アイム ラビニ!」これを耳にしたら条件反射で体がポテトを欲するまでに成長してしまった。

このポテトには、大きく二つの派閥があると思っている。カリカリ派とへにゃへにゃ派だ。

スナック菓子ばりに水気のとんだ、カリカリのポテト。時に口中攻撃をしかける凶器と化すカリカリしたやつ。これを愛するのがカリカリ派だ。

対して、やや黒ずんだロングサイズで、持ち上げると同時にへにゃへにゃと腰を折るへにゃへにゃポテト。歯ごたえや香ばしさから最も遠い場所にいる、このへにゃポテにも熱狂的なファンは多い。わたしはこの派閥に属している。

ちなみに、世の中には、このどちらの派閥にも属さない猛者たちもいる。食べれたらいい派だ。わたしはこれをまだ認めていない。

さて、長らくお待たせした。わたしのポテト愛について知っていただいたところで、本題に入ろう。

今日お届けしたいのは、これほどまでに人々のこだわりに満ちたマクドナルドのポテトをめぐる、男女のトラブルにまつわるお話である。

ある男女のマクドナルド事件

わたしはS子。大好きなD夫さんと一緒に暮らしています♪

ー彼らはどこにでもいる、平凡で平和な男女だった。

土曜日のお昼ゴハン嬉しい♪今日も明日もふたりで一緒に過ごせるんやもん♪

D「お昼どうする?マクドにせーへん?」

S「いいねいいねーー♪」

息ぴったりのふたり♪一緒にマクドナルドまでドライブして、ドライブスルー。お持ち帰りをして、おうちで一緒に新喜劇みながら食べるんだ♪

マクド「ご注文どうぞー」

D「ビックマックセット」

S「ダブルチーズバーガーセット♪」

マクド「ただいまポテトLサイズに無料でできますがいかがですかー?」

D「そんな食べれへんやんな」

S「うん!大丈夫でーす」

ブウゥゥゥゥゥウウン

ーこうしてふたりはドライブスルーで購入したマクドナルドを両手に抱え帰路につく。これから起きる惨劇など知らずに。

S「いいにおいーーーーー」

D「食べよー」

ふたりでテレビを見ながら、パクリ♪おいしぃ〜〜〜〜!

わたし、ポテトが大好き♪中でも、へにゃんへにゃんのポテト、めっちゃスキーーー♪

あ・・これはカリカリ。これもやー、一本パクリ。おいしいけどー♪

あー!へにゃへにゃあったー、あとで食べよ♪ふんふ〜〜ん。

 

<TV 『ナンデヤネン!』・・ドッ(笑い声)>

D「あっはっはっ」

D夫さん、超楽しそー。・・・・え?ポテト食べるん、めっちゃ早いやん。もう半分ないやん。

ーこの時、S子は胸の中で「イヤな予感」を感じたという。虫の知らせとはこのことだと思った・・それが後日S子から聞かされたセリフだ。

えっえっ、いっぺんに3本も口にいれるん?てゆうか、もうポテトの方見てないやん。カリカリーとかへにゃへにゃーとか、そういうのないん?手が勝手にポテトとって口に運んでるだけやん。もっと大事に食べな・・

D「うまいな」

S「う・・うん。」

ーボソボソとダブルチーズバーガーとポテトを食べるS子。そしてついにその時がやってくる。

・・・ガサガサガサ・・

!!!!!!!!

わたしの・・!ポテト・・・・!!

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食べたよねぇ、今、わたしのポテト、食べたよねぇ!!ちょっと待って!大事に大事に食べてんのに?なんで?なんなん?それなら、Lにしたら良かったやん。なんて言ったらいい?ダメって言ったら、怒るかな。どうしよ、そんなん言われへん。いやや、でもポテト・・

D「あっはっはっ」

S「・・・・・」

ーS子はあまりのことに、食べることを忘れて言葉を失い、ただD夫によって荒らされていくポテトを見つめた。彼が食べれたらいい派の猛者だということは、言わずもがな、だ。

D「なんなん?どうしたん」

S「・・・・」

D「なんやねん」

S「・・・・・」

ーながれる気まずい空気。そのとき、彼女の愛するへにゃへにゃに、D夫の指が伸びた。

S「・・・しのポ・・・」

D「なに?」

S「・・・たしのポテ・・・」

D「なんて?」

S「わたしのポテトォォォォォォォオ!!!!」

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D「・・・・あ、これ?ごめんて、ごめんごめん。なんや、あはは」

ーD夫はS子のポテトを食べることをやめた。S子はボソボソとまた、ポテトを食べ始める。彼の横顔が、心なしか寂しそうに見えて、S子の胸は痛んだ。

なによ。めっちゃ減ったし。モグモグ。食べすぎやって。モグモグ。へにゃへにゃとっておいたのに。モグモグ・・・。

・・D夫さん、食べたらあかんて言われてなんか、かわいそう。おいしくない、なんか。ポテト・・・

 

S「・・・これ、いいよ。」

D「ええよ、食べ」

S「いい、あげる。」

D「ほんま?ありがとー」

へ、へへへ・・・。D夫さん、笑った。よかった。次からは、もう絶対Lサイズにしよ。

S「あ、へにゃへにゃや!これ食べる」

D「食べー、これが好きなん?」

S「うん」

D「これもへにゃへにゃやでー」

S「ほんまや、カリカリのやつは食べていいで」

D「おー」

S「あっ!そのへにゃへにゃ!」

・・・

男女の絆はこうして深くなっていく

さて、この話を聞いてもらっていかがだろうか。

女、めんどくさすぎ?Yes!話ちっちゃいだろ?Yes!その通りだ。

たかがマクドナルドだと、思うことだろう。しかし、男女のすれ違いなんて、突き詰めれば本当に小さなものなのだ。

生きてきた時間も場所も環境も異なる男女が、ともに暮らせばこんなささいな感覚の違いは山のように出てくる。そういう一つ一つを寄せ合っていくやりとりが、ふたりの関係を作り上げていく。

そんなちっぽけなことすら歩み寄れなければ、いずれほころびが出るだろう。そんなちっぽけなことを共に積み重ねていけば、いつしか固い絆になるだろう。

好みや価値観を少しずつ伝え合っていくこと。それを放棄しては関係など育たない。

思いのほかに真面目なことを語ってしまったようだ。少し恥ずかしい。とにかくわたしはこれが言いたかった。

たかがマクドナルドではない。されどマクドナルドなのだ。

 

それでは今日はこのへんで。

また、次のお話で。