もしも誰かになれるなら。隣のおっちゃんの人生を覗き見してみたい願望
今日はせっかくなので、はてなのお題に乗っかってみようと思います。
さて、今週のお題「これって私だけ?」
今朝通勤の人で大にぎわいの品川駅を歩いていて、そういえばと思い出しました。
昔子供の頃、ふんっと念じれば違う誰かになれるって本気で信じてました。これって私だけ?
人の人生は一人ひとつだけ、って知ってました?
「えっ、私一生SATTY なの!?」
って、気づいた時のことをわりかし鮮明な感覚として覚えてるんですけど。
子供ながらに、「私は一生同じ人間として人生を背負っていかないかんのや」という重みを感じました。死ぬまで逃げられない人生の責任にふるえた、多分小学生の私。
よくよく考えたら、スゴイことだと思うんですよね。生まれた瞬間から、1人の人間の人生と何十年も、もしかしたら100年以上、向き合わなきゃいけないんですよ。
ちょっと違う人の人生も経験してみたいな、とか思ったりしませんか?これはきっとわたしだけじゃないはず。
そんな意識もあってかしら、人の人生ってとても興味があったりします。本を読むのが好きなのも、人間観察が好きなのも、きっと同じ根っこから生まれてるんやろうな。ちょっとだけ、知らない誰かさんと同じ体験、同じ気持ちを感じてみたい。
隣のおっちゃんの人生を想像してみる
例えばさ。
この居酒屋で1人飲んでるおっちゃんは、この後店の外にでたら、さむって思いながらコートの襟をギュッ閉じて、「まだ飲み足らへんなぁ」とか思いながら家まで15分ほどの道のりを、テクテクと歩くのかもしれない。
その過程で、「熱燗にするか?じゃぁアテも買って帰らないかんけど、家にさきイカまだ残ってたような気もするなぁ。」なんてあれこれ考えてたら、めっちゃトイレに行きたくなって・・・、
「ヤバイヤバイわぁ〜」って股間を押さえながら、立ちションできるところをキョロキョロ探してたら、向こうから歩いてきたカップルに怪しまれて、すれ違いざまのヒソヒソ話と、一拍置いてからの「イヤだ〜」って笑い声に、ちょっとムカッとして、その後またちょっとヘコむ…のかもしれない。
はたまた、全く違うのかもしれない。
私の頭の中ではおっちゃんの人生が無限大にふくらんで、なんとなくおっちゃん気分になる。けど、事実は私の想像をはるかに超えていくような気もします。
もしも、おっちゃんの人生を体験できたら
居酒屋で飲んでるのは実は酒じゃなくて水で、張り込み捜査の真っ只中で私を見張っていたりして、外に出たら突然「アツいわっ」て言って全裸になって、
署に通報されてそこから10日間の逃亡生活が始まり、絶望の末たどりついた名も知れぬ森の中で、通りすがりのカップルにそっと毛布をかけられて、ちょっとビクッとして、その後また、やっぱりちょっとヘコむ…のが、現実かもしれないでしょ?
この世界には、信じられないような本当のことが、たくさんあるから。
本当のところどうなの、教えてよ。おっちゃん。
願わくば。
そうだなぁ、1日。いや、3時間くらいでいいから、知らない人の人生を、じ〜〜〜っと観察して、自分の空想をどれくらい裏切ってくれるか、試してみたいんだけどな。
・・・これって私だけ?
今日も東京は人が多いです。この人たちみんなが、それぞれの人生を背負って生きている。
誰も知らない物語が、まだまだこんなにいっぱいある。すごいな。
そんなことを考えた、今週のお題でした。
それでは、今日はこのへんで。
ありがとうございました!