SATTYのDREAM LIFE!

人生はたくさんの夢と物語でできているのだ。空想と妄想がつまった私の日記。

母の日くらい、お母さんのことを考えてみようかなと思って

今日は「母」をテーマに書こうとしているのだけど、さっきから全く筆が、もといタイピングが?進まない。私の中の母の存在は、あまりにもデカすぎて、何をまとめればいいのやら、四苦八苦している。これは長い戦いになりそうだ…。とにもかくにも、私と母の30数年の歴史を、書いてみる。

電車から見える夕焼け空と、私のお母さん

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私が覚えている限り、一番古い母との記憶は、夕方の電車の中。たぶん、京阪電車だと思う。母と二人で、ガタタンゴトトンと電車にゆられながら、私は周囲をまじまじと観察していた。母と同じくらいの年の女性を見つけては、「お母さんの方が、きれい」と、ニンマリほくそ笑んでいた。子供時代、この観察をいたるところで繰り返していたんだけども、母を超える人には結局出会わなかった。

大人になってから振り返ってみると、あの時の感覚はとっても不思議で、きっと母よりキレイな人はたくさんいたんだろうけど、私は本気で疑いもなく自分の母親がこの世で一番だと思っていた。それくらい、母は特別で唯一の存在だったんだと思う。私のお母さんは、他の誰かじゃ嫌だったんだと、そう思う。

母は、ピーカンに晴れ渡った空のようで、とにかく明るい人だった。よくしゃべり、ご近所さんとも仲が良く毎日とても楽しそうに生きていた。若干根暗気味だった幼い私は、いつも明るく前向きな母が、自慢でもあり憧れでもあり、そしてコンプレックスも抱いていた。

あんな風になりたいけど、あんな風にはなれないよ、と。私のこの暗い気持ちは、お母さんにはわからないよ、わかるはずがないよ、と。そうして、そのまま突入していく、THE 反抗期。パーフェクト・マザーと根暗なSATTYの戦いの日々へ。

パーフェクト・マザー vs SATTY

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私は小学生から塾に通っていて、そこで中々友達ができずにいた。今思ってもびっくりするぐらい、友達作りが下手くそな子供だったのだ。

「もう、塾いきたくない」

決死の覚悟で打ち明けた一言も、母にはわかってもらえなかった。母には母なりの想いがあったんだろうと思う。しかし、当時の私は、強い母にはわかってもらえないんだ、と鬱々した感情だけを募らせていた。

二階の自室に受験勉強という建前でこもり、ひたすら漫画やら小説やらを読みふける日々。敵もなかなか手強く、階段を上る足音・気配をすっかりと消し去り私を油断させるのだ。階段の最後3段ほどから、突如ものすごい勢いで駆け上がり、突入してくる般若の形相の母は、今思い出しても恐怖でしかない。

母はパーフェクト・マザーでありながら、それはそれは厳しかった。これまでの人生で、顔を思いっきり殴られたのは、おそらく母だけだと思う。あの時、私も泣き喚いたけど、お母さんも大変だったよね。そこまでして人を叱るのは、とてつもなく気力がいるもの。なんであんなに怒られたのか、その理由は忘れてしまったけど、それだけ怒ってくれる人がいたという事だけは、きっと一生忘れないと思う。

鬼の目にも涙、いや、母の目に涙

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ある日、義理の祖父が死んだ。葬式に向かう新幹線で、私は初めて母が泣くのを見た。遥か昔に、母の実の父、つまり私のおじいちゃんが死んでから、いろいろな理由があって母がひとりぼっちで奮闘してきたことを私はこの時初めて知った。

母は、おじいちゃんの事が大好きで、大好きで、大好きで、そのおじいちゃんが死んでしまってから、いろんなことが受け入れられず、苦悩していたことを初めて知った。私にとって、その涙は衝撃だった。だって、母はパーフェクト・マザーだったから。

いつも明るく前向きで、太陽のように家族を照らしていた母が、ずっと抱えていた心の裏側を知り、私は母が自分と同じ1人の人間であることを、思い知った。何を言っても構わない、なぜって母はパーフェクト・マザーで私は未熟な子供なのだから、と母の強さを言い訳にたくさんの言葉で傷つけてきたことを、悔いた。

母だって、未熟な1人の人間だった。母が私を生んだのは30歳。まだたった30年しか生きていないただの若者だったのだ。

いちばん響いた母の言葉

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母と私には、たくさんの思い出があるのだけれど、その中でも一番心に残っていることがある。当時私は遠距離恋愛をしていて、その彼とどうやらもう別れの時が迫っていた。東京に行ってくる、なんの説明もなくそう言う私に母は怒った。何をしているんだ、と怒った。

後から聞くと、気がつけば東京へ足を運び、ふさぎ込む当時の私の様子に、父も母もかなり心配していたらしい。でも、私はそれどころではなかった。

私はこれから、東京まで別れ話をするためだけにいく、その張り裂けそうな心を分ってくれない母に、心の底から腹が立った。そうして大ゲンカの末、私は家を飛び出し東京へと向かった。

東京で奇妙なことに、これで別れるであろう彼と、とにかく楽しい思い出をひたすらに作った。互いに別れることがわかっているにも関わらず、ただ笑って過ごしていた。そしてそのまま、最後の一言が言えずに数日が経ち、私の心はもう限界だった。1人になった、コンビニの前。思わず電話をかけていたのは、母だった。大ゲンカしたまま、なんの連絡もせずにいた母の携帯を、無意識に呼び出していた。

怒られると思った。お前は何をしているんだと、今すぐ帰ってこいと、どやされると思った。しかし、電話口に出た母は、いつもとなんら変わらない調子で「もしもし?どうしたの?」と答え、その声を聞いた瞬間、私は号泣した。声にならない声で、ただひたすらに自分の想いをぶちまけた。自分がどうしようもないほどに、無理をしていたのだとこの時初めて気付いた。

一通りの話を聞き終えた母は、静かにこういった。

「3年も楽しくお付き合いしてきたんでしょう?大事にしてもらったんでしょう?いい人で良かったね。いいお付き合いができて良かった。ありがとうって、今まで向き合ってくれてありがとうって言って、帰ってきなさい。待ってるから。」 

母は彼を責めたりしなかった。私を哀れみもしなかった。下手ななぐさめもなく、期待をさせることもなく、私と彼の過ごした年月を、その言葉はただやさしく包み、踏み出せずにいる私の背中を押した。

「もう、想い出にしないといけない。」

そう知った私は、言えなかった最後の言葉と、母に言われたとおりの3年分の感謝を残し、母の待つ家へと帰った。

涙で目をパンパンに腫らした私を迎えてくれたのは、何も言わない母と、好物が並んだいつもの食卓で、私はその温かさが照れくさく、胸に染みて、また泣けた。

私の知らない母の人生があり、経験がある。母は、嬉しいことも悲しいことも苦しいことも、たくさんの出来事を受け入れ、感謝し、生きてきたのだろう。そんな母が、母として、そして一人の人として、私を励まし、精一杯のエールをくれたのだ、私はそう思っている。

最後に

私は私の母しか知らない。私にとっての母は、パーフェクト・マザーで般若のように恐ろしく、おしゃべり好きで、父が好きで、時々子供っぽくもあるが、時々その生き様を見せつけて迷う私の前にそっと光を照らす、そんな人。私にとって母親とは、私の母が全てだ。 

お母さん、これからも人生を一緒に楽しもう。

 

実はまだ書き足りないことがあるのだけれど、さすがにちょっと長くなりそうなので、ここから先はまた次の機会にとっておきたいと思う。母の日が近いもんだから、母のことを思ってのエントリー。

それではきょうはこの辺で。読んでくれてありがとう。

また、次のお話で。

このテーマは、同期ブログの企画です。

今回のテーマは、私も参加している同期ブログ発案の企画で書かせてもらいました。共通のテーマでみんな書いてみよう!というものですね。同期ブログに関わらず、どなたでも参加できるので、ぜひブロガーさん参加してみてください。

【参加条件】

1,テーマ:【子どものときの母親との思い出】※記事タイトルは自由。

2,どなたでも参加自由です。 ※同期ブログ参加者以外でも大丈夫です。

3,SNSに投稿するときに【#doukimc】のコメントをつけてください。 ※記事のタイトルにはつけなくてもいいです。

4,同期ブログ企画であることと同期ブログの紹介(http://kiyo378101.com/douki-blog/)をしてください。

5、他の参加者の記事を出来たら紹介してください。SNS上で【#doukimc】のタグで検索してもらえるとわかります。

6,こちらの参加条件を記事に書いてください。

この企画に参加しているエントリーを紹介します。

 

同期ブログ企画「親世代になって考える、子どものときの母親との思い出」 | まほろば風土記

子どものときの母との思い出~母の日&こどもの日 | きよちゃんのブログ

5歳の男の子が体験した壮絶な夜逃げ話します

【マザコン】と言われてもいい。限られた時間大切にします。| のぶろぐ〜好きをもとめて1光年〜

母から教わった、たった一言の言葉の重み | Jobmee

ACの私の、母との思い出【ブロガー連動企画記事】 - ヨミコのデザイン工房

【母の日】【子供の日】母親との子供の頃の思い出 | 考えるおやじ女子

これぞ母の愛! 銭湯でウンチを漏らしたとき、母がそっと石鹸箱に・・・ - もりブログ