人生には無駄な時間が必要だ
こんにちは、SATTYです。
久しぶりの更新になってしまいました。世間はゴールデンウィーク。みなさまいかがお過ごしでしょうか?
ここ数日、いろいろと考えることがあって、なかなかブログに向かうことができずにいました。毎日眺めていたブログも、SNSも、まったく見ないようになってー週間。ぽっかんと穴があいたような気持ちをかかえながら、ただ仕事をして、寝て起きて、毎日を過ごしていました。
そんな私に、今日はとても嬉しいことがあって、今こうして書き始めています。今日はただ自分の気持ちを残しておきたくて、書くことにします。
このブログを唯一読んでくれている友達がいます。彼女はシンガーとして活動していて、私も彼女のファンの一人なのですが、先日こんなお願いを受けました。
「私の曲に、歌詞をつけてくれない?」
私のブログを読んでいて、私の書く言葉が好きだと彼女はそう言ってくれました。もちろん二つ返事で引き受けて、ずっと考えていました。文章と歌詞は、また違うのだろうけど、ぼんやりと頭に思い浮かんだ風景や瞬間を、言葉にして並べてみました。
限られた少ない言葉から、風景や想いがあふれて、誰かの気持ちにより添えればいいなぁと、そんなことを考えて。
今日、その曲が出来上がったと連絡がきて、さっき初めて聞いてみました。なんと言葉にしていいのかわからないような、不思議な体験だったのですが、耳に彼女の歌声が聞こえてきた瞬間、全身に鳥肌が立って目がクワーと熱くなって、ものすごい感動を覚えました。あぁー・・なんだろ、この感じは。なつかしい。
昔、何も考えずにただ楽しくて楽しくて作品作りに没頭していたころの気持ちが蘇ってきて、何もないところからモノを作り上げる感動を、思い出しました。
大人になって、いろいろなことがあって、いろいろなことを忘れてしまって、頭ばっかりでっかくなって、大事な感覚を失くしていって、そういうもどかしい何かが、すっかりどうでもよくなって、何十回とその曲を繰り返し繰り返し、聴き続けました。
私はおそらく、馬鹿でかしこい生き方をできない弱い人間なんだと思います。嫌なことはたくさんあるし、知りたくない感情に触れて、どうしようもなく悲しくなることもある。生きにくい世の中だと感じてしまうし、いろいろ気づかないように、自分を騙していかないとやってられんと思うことがある。
そうやって自分をどんどん忘れてしまいそうになるとき、私を引き戻してくれるのは、唯一、感覚がゆれ動く瞬間。笑ったり、ジンと沁みたり、胸があったかくなったりする感覚。生きていく中で、なくても死にはしないんだろうけど、なくなったらもう自分じゃなくなるんだろうな。
なんでそんなことに山ほどの時間を費やして、一生懸命になるの?って、人からみれば理解できないようなことでも、私にとっては大切だし、誰がなんと言おうと大切だし、誰かにとっては果てしなく無駄なことでも、私はそれを愛したくてたまらないんだから、しょうがない。
目に見えることばかりが全てじゃないだろ、大事にしたいものなんて、人の数だけ存在するんだから。理屈では説明できない感覚的なものが、昨日までの自分を180度変えてくれたりするんだから。
もしもいつか、その感覚を自分自信が理解できなくなって、今書いてることも、はてなんのこっちゃね?って思う日がきたら、私は変わってしまったってことなんだろうな。それはそれで、生きていくには便利なのかもしれないけど。
まだ、変わらずにあの感覚が残ってるってことが嬉しくて、書き残すことにした。誰かと何かを作ることは、本来こんなに幸せなことだと、思い出した。
無駄な時間も必要だ。無駄な話も、必要だ。いろんな無駄が、いつも私を感動させてくれる。
今日はそれだけ。