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SATTYのDREAM LIFE!

人生はたくさんの夢と物語でできているのだ。空想と妄想がつまった私の日記。

【文章のお勉強】自分への弔辞にあなたはいったい何を書く?

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こんにちは。SATTYです。

今日は久しぶりのこの時間!SATTYと学ぶ文章のお勉強です。今日の講師は、私が昔通っていた編集の教室の先生。名前忘れちゃったから、えーと、勘三郎先生ということにしましょう。

もう何年前になるかしら。私は、出版社への就職を目指して、編集の教室に通っていました。同じくらいの年の若者がたくさんいて、みんなめちゃくちゃ個性的で、それはまぁ刺激的でした。そういえば、当時からみんなブログというものを書いて、文章を書く、表現する、ということに日々取り組んでいました。

その教室には日替わりでいろんなライターさんや今やテレビでもその顔を見かける編集長さんなんかが、レッスンしに来てくれるんです。どちらかというと、編集やライターの心構えだったり、業界の話だったりをしてくれるんですが、時々ちゃんと課題がでるんですね。

ある日の授業。講師は勘三郎先生。様々な仕事を手がけてきたおじいちゃん先生で、とても話が面白かったのを覚えています。勘三郎先生が私たちに出した課題は、『弔辞』を書いてきなさい、というものでした。しかも自分への。

その日伝えられたのは、それだけ。私もみんなも、ようわからんなぁ、難しいなぁと言いながらとりあえず書いて提出しました。提出された私たちのつたない弔辞への勘三郎先生の評価は厳しいもので、今回の課題の趣旨を理解している人は誰もいない、というものでした。

弔辞ってそもそもどういうものでしょう

弔辞を辞書で調べると、「人の死をいたみ悲しむ気持ちをあらわした言葉や文」とあります。もうちょっと調べてみましょう。

www.osohshiki.jp

こちらはお葬式のサイトにあったコラム。少し引用して紹介します。

弔辞では何を話せばいいのか

弔辞の際には霊前に向かって二人称で呼びかけるような形式になります。 

故人に対しての想いを語るわけですから、向ける相手も当然ながら故人になります。
何を語るかはその人の自由ですが、遺族や関係者たちが聞いていることも考えなければいけません。

一般的にはなぜ悲しいのか、故人との関わり、尊敬していたところ、どんな人物であったか、今はその人を亡くした悲しみにくれている、などといったことを自分の言葉で表現することが多いようです。これらは抽象的な言葉ではなかなか伝わりにくいため、それにまつわるエピソードを紹介することも多いです。

また、弔辞だからといって堅苦しい言葉は使わず、普段通りの言葉で語りかけましょう。故人に対しての言葉ですから、いつも通りのほうが喜ばれるものです。

ー「小さなお葬式のコラム」より

 その他にも忌み言葉を避ける、であったり、構成などなど正式にはいろいろあるようですが、今回はそのあたりのマナーは少し省かせてもらいますね。

さて、この課題で勘三郎先生は、果たして私たちに何を書かせようとしているのでしょう?

最期に自分に語りかける言葉は、客観的に見た「自分の人生」

弔辞では、その人の人となり、心に残っているエピソード、尊敬していたところ、好きだったところ・・その人へのいろんな想いが語られます。それはいわば最期の手紙。自分自身へ最期の手紙を書くとしたら、何を書くでしょう?

自分はどういう人間で、どういうエピソードがこれまでの人生の中で心に残っていて、どういうところが自分の良さで、そしてその人生にどんな想いがあるのか。勘三郎先生は、自分を客観視して、その人生を言葉に綴ってみろと、そう言っていたんです。弔辞を聞いた列席者に、私という人間の人となりが伝わるように。これがポイントですね。

私もまだ若かったもんでね・・そんなの汲み取れなかったんですよ・・なんかよくわからんことを書いたはずですよ・・。その時は一生懸命だったんですけどね。最近ふと、この課題のことを思い出して、今の自分は、あれから10年以上生きた今の自分は、いったい何を書くかな?と考えたんです。

そこで今日は、もしもSATTYが死んじゃったら。まだ死にたくないけど。最期に自分に伝えたいことを、書いてみようと思います!それでは、参りましょう。

Lesson『弔辞』

SATTY、今私はあなたにお別れを伝えようとしています。

30年以上毎日一緒にいたあなたに、いったいどんな言葉を伝えればいいか、いささか困惑しています。あなたが遠くへ行ってしまうことを、まだ現実として受け止められていないのでしょう。

あなたは小さいときから、それから大人になっても変わらず、少し物思いにふけることの多い人でした。理想と現実のギャップに、随分と苦しんだこともありましたね。いらんことは何も考えない、底抜けにあかるい阿呆になりたい、と何度も口にしていたことを思い出します。

人をすぐに信じて傷ついて、「しっかりせぇ」と叱られることもありました。何度も貧乏くじをひいて、周囲に心配をかけてきました。頼まれごとを深夜まで手伝ったり、人の喧嘩に巻き込まれて神経をすり減らしながら仲介役を引き受けたり。みんなが口を揃えて「もっと楽に生きなよ」と言いました。そんな時あなたは「人を疑うよりも、人を信じて傷つく方がいい」と、どこかの武田鉄矢が歌っていたようなことを言う人でした。

あなたは阿呆になりたいと言ったけれど、私はあなたのその感じやすさがあなたらしさだったようにも思うのです。人のために泣き、人のために怒り、そしていろんなものを感じてしまう不器用さは、あなたを苦しめもしたけれど、本当にあなたを愛してくれる人にも出会えました。

心から信じた友達が、あなたの人生の節目節目で、涙を流して喜んだり我が事のように悔しがってくれました。それだけで、ただ幸せではなかったですか。

無茶な夢もたくさん見てきましたね。いつだったか誰かに人生で一番重要なものは何かと聞かれ、随分考えた末にあなたは「夢」と答えました。夢を現実にできないと知った後も、それでも変わらず「夢」だと言いました。

夢を見続ける虚しさも、葛藤も全て含めて、あなたは夢を持っていることが幸せだったのではありませんか?そして、その夢を同じ方向を向いて見ていてくれる仲間や家族との時間が、何よりも大切だったのではありませんか?

友達と子供のような夢を話し続けた夜も、励ましあって過ぎていった時間も、両親に夢を打ち明けた照れ臭さも、大切な人のつたない声援も、いつもみんな明日へ踏み出す勇気をくれました。あなたが夢を捨てない限り。

お気に入りのマークがバクなのは、あなたが失いたくなかった夢の象徴。分かりやすすぎて恥ずかしいほどですが、夢を食べるバクに憧れたその単純さも、きっとあなたらしさなのでしょう。

あなたのその繊細すぎる心がみたこの世界は、バラ色ではなかったかもしれません。ただ、長い長い日々を懸命に生きるには十分なほど鮮やかであったように、私は今思います。あなたはきっと、たくさんの幸せを抱えて旅立つのでしょう。

どうか、そのまま天国で夢の続きを、今度は叶えてみてください。そしたら、とびきり明るい不器用な阿保になって笑っていてください。

あなたの仏頂面は怖いから、好きな人たちが好きと言ってくれた満面の笑顔でいてください。 今はただ、それだけを願っています。

 

後書きと感想

さて・・・拝聴してくれたみなさん、いかがでしたか?私の人となり、少しは伝わったでしょうか。

なんだか途中で、本当にこの体とバイバイをするような気になって、随分と感傷的になってしまいました。自分という人間を客観視するのは、なかなか難しい。どうしても、知らない人がわかるような具体的なエピソードよりも、自分語りをしてしまいますね。勘三郎先生の及第点には、今回も届かなさそうです。

この課題に取り組むに当たって、それこそ走馬灯のようにいろんな出来事が蘇ってきたんですけど、自分の一番の特長や自分が一番大切に思っているものというのが、不思議とやっぱり一番に浮かび、最後まで残るんですよ。少なくとも今の自分が感じている自分っていうものを書くとしたら。

これ、もしかしたらもうちょっと歳をとったら、また違う風なことを書くのかもしれません。それまでは…成仏できないなぁ〜

さて、あなたは、自分に向けてどんなことを書くでしょうか?

それでは今日はこの辺で。

また、次のお話で。