SATTYのDREAM LIFE!

人生はたくさんの夢と物語でできているのだ。空想と妄想がつまった私の日記。

駆け出しのブログ書きと、中堅編集マンが一夜限りの文章談義。私が「書く」ことにこだわる理由。

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By Dominik Schröder

 

・・・っしゃーせーーーー・・・ ・・

いやー・・・・きゃーはー・・

・・・

週末の夜である。ここは大衆居酒屋。

安さとうまさを実現した、庶民の憩いのオアシス。 私は、ストローのささったジョッキグラスに並々と注がれた、乳白色のミックスジュースを堪能していた。ここのミックスジュースは絶品だ。

そして、私の前にはDスケさん(とある会社の中堅編集マン)。今夜もこのブログの主役は彼である。彼はもう残り少なくなった生ビールで喉を鳴らし、ご機嫌な様子。

申し遅れました、SATTYです。こんばんは。帰省中の大阪より愛を込めて、今日は暑苦しい夜の居酒屋談義をお届けします。今日のテーマは、そう「物を書く」ということ。

誕生間もないひよっこブログの管理人SATTYと、各地を飛び回り雑誌編集に精を出す中堅編集マンのDスケさんが、焼き鳥片手に繰り広るトーク&トーク。どうぞ、チャンネルは、そのままで。

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Dスケ:SATTYは、ブログよう続いてるやんか。ええこっちゃ。夢中になれるのはええこっちゃやな。

SATTY:楽しいねん。いろんな人がコメントもくれるねんで。

Dスケ:すごいやん!

SATTY:みんなブログ書いてはるからな。多少わけわからんこと書いても、読んでくれはるねんけど、もっと広く読んでもらうには、ちょっとわけわからなすぎるかもしれへん。

Dスケ:そうかぁ。頑張らなあかんな。

SATTY:うん。(パリポリ←キャベツ噛む)

ここで、レバー登場。我々はレバー好きである。タレが焦げたはしっこが、好き。

Dスケ:でもすごいなぁ。SATTYは、ようそんなに書くことあるなぁ。俺は書かれへんわ。

SATTY:好きなようにめちゃくちゃ書いてるだけやで。

Dスケ:好きなように書けるってゆうんはスゴイことやで。俺は仕事で、いっぱい書くけど、好きなように書けって言われたら・・どうやろう。書けへんな。

SATTY:なんで?

Dスケ:色々変に知ってしまったんかな。例えば「今回はあの手で書こう」「ここはこうやな」とか、流行りの文章とか、全部狙って書いてるみたいになるからな。なんでもそうやで。結婚式のスピーチとか手紙でも。ホンマの自分の言葉ってどこにあるんやろうって思ってしまうねん。それやったら何も書かんと、その場で思ったことをしゃべる方がマシや。自分の言葉で好きなように書けるっていうんは、スゴイことやで。

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Dスケさんが言っていることが、私にはちょっとわかる気がした。まだ始めたばかりのブログとはいえ、最初の1ヶ月頃は、なかなか楽しむのが難儀だった。

人のブログは山のように読んだし、ブログの書き方とか、考え方とか、漁るように読んでいた。もともと本を読むのも好きだったし、文章というものが好きだったことも手伝って、寝落ち寸前の半目状態でスマホを握りしめ、飢えた魚のように情報を得ようとしていた。

「この文章は素敵だ」「こういうブログがいいのか」「こんな風に書いてみたい」

情報はあっという間に、私の思考回路に影響を与え出す。そしてそのうち、がんじがらめの情報の縄の中で、身動きがとれなくなるのだ。次に何を書けばいいのか、わからない。次の言葉が出てこない。なぜって、自分の言葉がわからなくなったから。

その縄が少しずつゆるまって、自分の好きなことを少しづつ書けるようになって、人にどう見られるかという呪縛から、少しだけ解放された時、書くことが楽しくなった。

すると、「それが君の文章だ」と言ってくれる人が出てきた。そうしたら、自分の言葉を書くことは、小さな自信に変わっていった。

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Dスケ:SATTYは文章が好きなんやな。それがようわかるわ。

SATTY:うん。好き。

Dスケ:なんでそんなに好きになったん?

SATTY:うーん・・・そう考えたら、他にこれって言えるものがないんかもしれへんな。音楽やってたとき(SATTYは学生時代音楽を勉強していました)も、これが正解なんかな?って考えながらやってたから、かっこ悪い演奏になるのが怖かったし、WEBデザインも、ひたすら人の作ったものを見て、人が作ってほしいものを聞いて作ってたし。自分の中にあるこだわりとか、そういうものはあんまりなかってんな。

今は、SATTYの頭の中にバァーって物語があってな、それを文章にしてるから、私の世界を書くのに、私が書いているもの以外の正解はないやんって思うねん。だって、私の頭の中を書いてるんやもん。

・・・・

私はきっとライターさんとかにはなれないんだろうなぁと思う。憧れた時もあったけれど。例えば、雑誌とかWEBメディアでもそうだけれど、食事や場所や物、情報を紹介するのに長けた人の書く物を見ると、あまりに魅力的なその「伝える力」に嫉妬する。

わかりやすく、そしてそのものの魅力をありのままに自分だけの言葉で書き綴る。それが私にはできないのだ。

私が「お話」と称して、ブログを書くのにはそういう理由がある。私が空想好きで物語を書きたがるのにはそういう理由がある。目の前で起きた出来事も、頭の中でもう一度再生しなおす。自分だけの世界で物語というある種の創作物に変換しないと、自分の言葉が生まれてこないのだ。

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Dスケ:そう考えたら、フィクションも悪くないな。

SATTY:Dスケさん、ノン・フィクション好きやんか。

Dスケ:そうやけど、俺も脚本とか書いてたからなぁ。脚本やったら、自分の言葉でかけるような気がする。

(注:Dスケさんは学生時代映像を勉強していました)

SATTY:脚本書いたらいいやん!

Dスケ:書こうかなぁ。

SATTY:うんうん!

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世の中に、私たちのように作品を創造することに憧れる人は山のようにいるんだろう。そうして、日の目を見ずに、諦めていく人も山のようにいるんだろう。それだけ、何かを創造するということには中毒的な力があると思う。

想像は無限だ。自分の頭の中で、もう一つの世界が生まれ、たくさんの人の人生が始まる。数多の人生が交差する。これ以上の創造が他にあるだろうか。

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Dスケ:何かを伝えたいとか、メッセージとか、そんなことよりもな、映像でも本でも、その箱の中で最高に「ウツクシイもの」を見せれたら、いいよな。いい映画はさ、なんのセリフがなくても、そのシーンの美しさだけで、感動できるんやで。

SATTY:ハッてなるやつやろ。細胞が感じるやつやな。

Dスケ:そうそう。ハッてやつ。

SATTY:そんなん作れたら、最高やなぁ。

Dスケ:そうやなぁ。

・・・

こうして、夢見る大人の夜は更けていく。ここは大衆居酒屋。安さと旨さを実現した庶民の憩いのオアシスだ。1本100円少々の、うまい焼き鳥を片手に、そろそろ重くなるまぶたを通して、果てしなく広がる遠くの夢を見つめてみるのも、たまには悪くない。馬鹿馬鹿しい儚い夢だと、たとえ誰かが笑ったとしても。そんな夜だった。

それでは今日はこの辺で。

また、次のお話で。