SATTYのDREAM LIFE!

人生はたくさんの夢と物語でできているのだ。空想と妄想がつまった私の日記。

泣きたいのに泣けない時、ちょっと背中を押してくれるもの

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はい、いらっしゃい。SATTYです。

どないしてんなぁ。泣きたい気分?

そうかそうか・・・。おいでおいで。ヨシヨシ。ワカッタワカッタ。

人生生きてたら、いろいろあるよね。 泣きたい夜かってあるよね。 そういうときには、泣いた方がいいねんて。

なんか、脳科学的に?泣いたら脳がリラックスモードになるらしいよ。

知らんけど。

SATTYそういう難しいことは、よくわからへんねんけど、それなりに長いこと生きてきたから、体験的にな、伝えたいことがあるねん。

もしかしたら、役に立つかも知れへんから、読んでみてな。

大人になって泣けなくなること

今泣きたいアナタは、何があったんやろ?

失恋?怒られた?それとも、大事な人とお別れしたんやろか。

そういう時に、すぐ泣けたらいいよなあ。泣いたらスッキリするもんな。 でも、簡単に泣かれへんかったりするな。

ちっちゃい子供の時は、ちょっとこけただけでも、ワンワン泣いてたのに。大人になるって、大変や。

プライドとか、環境とか、泣かない理由を山ほど作って、いろんな鎧を身につけて、表向きはどんどん強くなっていくから、どんどん鈍くもなっていく。

ほんまの心の中は、きっと昔と変わらへんくらい、弱い子供のままやったりするのにな。

脳みそ(思考)と心の声(感情)

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泣きたい出来事が起きたとき、かしこくなった大人の脳みそは、色んなことをグルグルグルグル考え出すやろ。ああでもない、こうでもない、脳みそはカシコいわ。

例えばさ、彼氏に振られたとするやん。私もいっぱい振られたことあるで。ドヤッ。そしたらな、SATTYの脳みそはこんな風になるねん。

 

脳みそ:
いい思い出、アリガトッ。キリッ 落ち込んでばかりもいられないよねっ。
明日から仕事も忙しくなるぅ。男なんて、星の数だけいるわけだし。
よぉし、明日から自分磨きにも力を入れてっ。
いい女になって、見返しちゃうぞっ。見てろよぉ。

・・・ ウザいよね。

そんな簡単にいかへんしね。 これ、ホンマの本音はこうやから。

 

心の声:
むりぃぃぃぃいぃぃいいぃいぃ。
しぬぅぅううぅううぅうう。
明日から生きて行かれへんんんんん。
てゆうか、もうどうでもいいいいぃいいいいぃ。
なんでなん、なんでふられたんんんん。
ヨリ戻したいいいいぃいいいぃいいいいいぃいぃ。

・・・ ダサいよね。メンドクサいよね。でも、これがホンマの自分やねん。

我慢させる脳みそ

脳みそはさ、長いこと生きて、いろんな知識をたくわえて、時々ちょっとややこしくなるねんな。素直になれずに、こじらせるねん。

かっこいい自分、前向きな自分、強い自分を勝手に作り上げて、心の声を封印してしまうねん。こうありたい、あらなあかんって、脳みそは脳みそなりに、頑張ってしまうねん。悪気ないねんけどな、ややこしいヤツやねん。

そういう時には、脳みそにちょっとお休みしてもらうために、心の声に味方を作ってあげよう。それが、体の感覚。特に、鼻と耳を研ぎ澄ましてみよう。

感情につながっている感覚

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五感の中でも、原始的な感覚器官は嗅覚と聴覚だと言われている。 特に嗅覚は視床をすっとばして、一気に大脳辺縁系と呼ばれる古い脳の領域に入っていく。臭いというのは、人間が意識する間もなく本能的にいろいろと判断しているようだ。

~中略~

そんな嗅覚と並んでなかなかすばらしい能力を持っているのが聴覚。 脳科学の先生がおっしゃるには、「光を感じるということを考えると視覚がもしかしたら先に生まれたかもしれないが、たとえそうだとしても聴覚はごぼう抜きのように他の器官を追い抜いて、より鋭く重要になってきた」ということ。

特集記事「聴覚は感情を支配する原始的な感覚【心を動かす音の心理学】~齋藤 寛」 | 音楽ジャーナリスト&ライターの眼 ~今週の音楽記事から~ | ヤマハ株式会社

 さっき、脳科学とかようわからへんし、とか言っておいてごめんな。

なんとなく説得力増す気がしたから、ちょっと引用しておきました。

ようはさ、感覚って感情にダイレクトにつながってたりするねん。脳みそじゃなくて、体の感覚で感じることで、心の声が素直になるための背中を押してくれるねんってことが言いたいわけだ。

ニオイと音が涙をさそう

さっきの例でいくとな、「いい思い出、アリガトッ。キリッ」とか言ってたSATTYがさ、フられた彼氏が部屋で使ってたお香のニオイがした瞬間にさ、

ブワッ(´;ω;`)

と泣けちゃったりすることもあるわけね。

脳みそがあーだこーだ言う前に、嗅覚の方が反応して、彼氏との思い出をフラッシュバックさせてきたりするわけ。

あるやろ?二人でイヤホン分け合って聞いてた音楽とかがさ、街中から聞こえてきた瞬間に、

ブワッ(´;ω;`)

てなったりすること、あるやろ?

そうゆう思い出のかけらを体の感覚は感じ取るのが上手やねんな。きっと。

泣けなかったお父さんの話

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SATTYもな、実は最近大切な人とお別れしたんや。大事な友達やったんやけどな、その友達のお父さんの話をちょっとだけするな。

そのお父さん、昔から感情を外に出すことがない人やったんやって。 お父さん、強くおらんとあかんと思ってたんやろうなあ。 息子をなくした時にですら、泣くことがなかってんて。

でもな、そのお父さんの前で、友達の思い出の曲を歌ったらな、ポロポロポロポロ泣きださはってん。別に、お父さんを泣かせたかったわけじゃないんやけど、私は嬉しかった。

おっちゃん、ずっと悲しいの我慢してたんやろうなあって、思ったから。

ホンマはずっと泣きたかったんやろうなあって思ったから。

お父さんの脳みそが、ずっと押さえていたものを、音楽が、体の感覚がポッと解放してくれたんやと思うねん。

心の奥に眠らせてた、大事な息子との色んな記憶が蘇ったんやろうと思うねん。

そうか、友達はちゃんと残されたみんなが泣けるように、ニオイとか、音とか、記憶とか、いろんなカケラをあちこちに残していってくれたんやなあ。それを、思い出っていうんやなあって、SATTYはそう思ってんな。

おわりに

つらいとき、悲しいとき、淋しいとき、きっと心は声をあげたがってるねんな。だからな、いったん脳みそで色々考えるのはやめて、日常の中にあるニオイとか、音とかを感じてみて?

きっと、心の背中を押してくれるカケラが、あるはずやで。

 

さて、それでは今日はこのへんで。

また、次のお話で。

春の日に逝ってしまった親友のこと

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こんにちは。SATTYです。

つい先日、大切な大切な大切な友人を、ガンで亡くしました。まだ30代でした。

あっという間に終わってしまった通夜・葬儀。

あれから1ヶ月がたった今でも、心がまだ何も実感しておらず、悲しむことすらできていません。

この1ヶ月、ずっと自問自答を繰り返し、何も答えが見つからなかった。

とても不完全なこの気持ちですら、彼と私の関係の大事な一部だと思うから、ちゃんと残してたいので、書くことにしました。

この1年を振り返った、長いお話になるので、読みたい人だけ、読んでね。

もしかして、私と同じように大事な何かとのお別れをした人が、何かを感じてくれたらと思います。

 

突然の知らせ

ちょうど、去年の今頃。その知らせはあった。

学生時代から、もうかれこれ20年近い付き合いになる親友が送ってきた1本のメールには、「もしかしたら、少し重い病気になったかもしれない、検査入院をする」と書かれていた。

驚いて、すぐに電話をかける。なんとなく、どこまで踏み込んだらいいのかわからなくて、少しばかり遠慮しながら、ただひたすら、彼の体と心の動揺を案じた。

その病気は過去に私の母が経験し、完治させているものだったから、

「まだ決まったわけじゃない、もしそうでも、必ず治そう、治るよ」

と、繰り返し繰り返し伝えた。

それから検査で度々入院することはあったものの、彼自身は元気で、それからも一緒に遊びに出かけたりした。

美味しいお肉を食べて、男のくせにカワイイものが大好きな彼に付き合って、吉祥寺にあるメルヘンなカフェや雑貨屋さんをウロウロと巡った。

「やりたいことって、気づいた時にすぐやらないとあかん。ふとそう思って、今まで行けてなかった場所とか、舞台とか、行きだしてん。そしたら病気が見つかった」

彼は、いつも通りの淡々とした口調で話してくれた。

そんなことってあるんだろうか、まるで運命が教えてくれたみたいなこと?

でも、それは何だかすごく不吉な未来を想像させるような気もして、私は「やりたいことは、すぐにやらないとあかん。わかった。」と、その言葉だけを胸に刻み、考えるのをやめた。

それから約1ヶ月、いつまでたっても終わらない検査にヤキモキしていた頃、最悪の結果が知らされた。

「末期ガン。もう手術することは難しい。」

その言葉を理解して受け入れるまで、少し時間がかかった。勤務中だった私は、外に出てなぜか母に電話をかけた。受話器の向こうの母に、彼の病気のことを説明しながら、ようやく脳が状況を理解し始め、私は声をあげて泣いていた。

 

残された時間

それから半年間。私と、私たちの仲間は、何度も彼と会った。まるで学生だったあの頃のように。何かを見つけては予定を作り、時間が許す限りの約束をした。

残された時間はわずかかもしれない…なんて気持ちはサラサラなかった。ずっと私は、彼は生きるんだ、と思っていたし、彼は変わらず元気だったから。

抗がん剤はよく効いていて、ちょっとデプッとしたお腹も、ちっとも小さくならないし、お酒もヘベレケになるまで呑んでいたし、変わったことといえば、マスクを手放さなくなったことと、少しだけ疲れやすくなったこと。

抗がん剤とは付き合うことになるだろうけど、治療は時に彼を苦しめることもあるだろうけど、まだまだ一緒に年をとっていけると思っていた。あと50年とは言わないから、せめてもう少し私たちが、分かりやすくオジさんオバさんになるまで。それは奇跡みたいなものなのかもしれないけど、私たちにとっては奇跡なんかではなく、現実としてそう信じていた。

それでも時々、彼の話をしていて涙が止まらなくなったりしていたのは、私が完全に彼の生命力を信じきれていなかったからなんだろうか。

 

人生に向き合って生きるということ

彼自身も、生きるつもりでいたと思う。仕事の復帰に向けて、一人暮らしまで始め、異動に向けた準備に動いていた。(実家が近い病院の近くに引っ越したのだ)

正直なところ、彼が仕事に戻ると聞いたときは、びっくりした。あまりにも早すぎるのではないかと。まだ、しばらくは病気と向き合うことだけを考えたらいいじゃない、そう本人にも言った。

「まだ、職場に恩返しができていないねん」

彼の答えを聞いたとき、自分が情けないようなどうしようもない気持ちになった。そんな発想は私にはまるでなかった。正直なところ、仕事なんて休める真っ当な理由があるなら、存分に休めばいい、と思っていた。幸いにも、彼の職場は休職していても、十分な保証をしてくれる会社で、当面のお金の心配はいらない。

「まだやりたいことがあったのに、悔しい。」彼は会社の人の前で、そう泣いたらしい。仕事へのそんな情熱を、私はいつ忘れてしまっただろうか。悔し涙を流すほどに、ちゃんと毎日生きれていただろうか。そして、なぜそんな彼が、こんな苦しさを背負うことになってしまったんだろうか。

頭の中でグルグルと巡ることに答えがでることはなく、働きたいという彼の小さな願いが叶うこともなく、2016年が終わっていった。

 

次のない約束

年が明けて、彼が約束をキャンセルすることが続いた。どうやら、変更した抗がん剤が体に合っていないようだった。短い入院を何度か繰り返す間に2月になり、久しぶりに会った彼は顔色が悪く、副作用のためか帽子を被り、食事もあまりできずに、「咳が出るから」と、ずっと飴を舐め続けていた。

それでも、知らない人だったらわからないだろう変化だったと思う。体型も変わりなく、よく話もしてくれた。

病院のご飯のことや、治療のこと、春の予定、昔話、いつもと変わらない時間。これまで何度も繰り返してきた時間の一つになるはずだった。

食事の最中にかかってきた仕事の電話が長くなり、後半私は少し席を外した。この時のことを、私は今でも後悔している。この日が、彼と過ごすかけがえのない最後の時間になってしまったのだから。

 

間に合わなかった再会

3月に入り、急激に体調を崩した彼は、そのまま入院生活に入ることになった。メッセージのやり取りは続いていたものの、彼の状況を聞いては、なんていう言葉をかけたらいいんだろうと悩み、気安くメッセージを送ることもできなくなっていた。

見舞いに行くことも叶わず、せめて何か贈り物でも送ろうかと、仲間の1人と相談したりしていた。

母に相談をしたら、「一度きりの贈り物より、なんでもない毎日のやり取りが一番嬉しいものよ」とアドバイスを受けた。私たちの間でぐらいせめて、これまでと変わらない日常の時間を感じさせてあげたい。

彼が好きな音楽の話をしよう。映画の話をしよう。ドラマの話をしよう。

遠慮なんかしなくていいや。たわいのないメッセージをたくさん送って、いつでも側にいると伝えよう。

そしてもう少し暖かくなって、具合が落ち着いたら、顔を見に行けばいい。

母のアドバイスを信じて、春からのドラマをチェックしたりしていたその夜、彼が亡くなったという知らせを受けた。

 

止まった感情

もしもの最悪な想像を一度もしていなかったといえば、嘘になる。その時きっと、私は発狂して泣き叫ぶんだろうと考えたこともあった。

でも、あまりにも、あまりにも突然のその知らせを受けた時、私はただ呆然とするばかりで、涙の一滴もでなかった。

葬儀や通夜の場所、時間、事務的な連絡を必要な人たちに伝え、そういえば喪服を買いに行かなきゃいけない、香典はどうしたらいいんだっけ、そんなことに追われるだけ。

実感がわかない、といえばそれまでだけど、あまりにも自分が薄情な気がして、自分の心の中がわからなくなった。私にとって、彼の存在は、もっともっと大きいはずなのに、本当は壊れそうなくらい悲しいはずなのにと、反応を見せない自分自身に裏切られたような気持ちになった。

 

かけがえのない夜

通夜で久しぶりに彼にあった。おしゃれな彼らしく、ジャケットに可愛いネクタイを締めた彼は、目をつむり眠っていた。ほんの少しだけ痩せただろうか、でも最後にあった日とあまり変わらないように見えた。

不謹慎かもしれないが、通夜の晩は楽しかった。

賑やかなのが好きだったからと、ご家族の厚意で夜通し彼と過ごすことを許してもらえた。いつもと同じ仲間が顔を揃え、彼を囲んでいつもと同じようにたくさん話をした。

学生時代のこと、大人になってからのこと。

彼はいつも私たちの中心にいたから、話題には事欠かず、彼の笑い方や仕草、口癖までみんなありありと思い出すことができた。

どこからひっぱり出してきたのか、昔々のアルバムを広げ、お酒を呑み、笑い、泣き、時折みんな各々に黙り、じっと彼の顔を見ていた。きっと、それぞれが彼との時間を思い出しながら、彼に話しかけていたんだと思う。

「結構、男前やったんやな」

仲間とそんな軽口を叩きながら、じっと彼の顔を見ていても、まだ私には実感が湧かなかった。 私の知っているアイツじゃない、別人みたい。だって、もっと笑ってたやんか。こんな澄ました綺麗な顔じゃなくて、もっと目を細めて、シワを作って、手を叩いて笑ってたやんか。

どれだけ長い時間、彼の顔を眺めていても、その気持ちが消えることはなかった。

「ずっとこうやって話していられたらいいのにね」と、仲間が呟いた時、私も全く同じことを考えていた。

この夜が続けば、ずっと彼と一緒に居られる。仲間で集まった時は、いつも名残惜しいものだったけど、最後の夜は本当に一瞬一秒が忘れがたい夜になった。

 

車の中で流れた涙

葬儀の日は、それはそれはよく晴れた。

前夜の寝不足を引きずった頭でボーッとしながら斎場へと向かう車内、彼と私たち仲間との思い出の詰まった音楽を、ずっと流し続けていた。

相変わらず、心の反応は鈍く辛いとか悲しいとかいう感情はどこかに行ってしまっていたけど、音楽が流れるたびに、涙腺はゆるみ涙がこぼれた。

ちゃんと涙が出ることに少し安心して、途中でもう拭うことをやめた。ボタボタと、止まることなく流れ出る涙は、薄い化粧を流し、顎から滴りおち、握りしめていた真っ白なハンカチを濡らして、斎場に着く頃には、私はボロ雑巾のような有様になっていた。

 

一瞬の別れ

粛々と葬儀は執り行われ、彼と最後の別れをする時が来た。

花でいっぱいになった棺桶の隅に、前夜みんなで書いた寄せ書きと、仲間と作ったお揃いのブレスレットを入れた。一つでもいいから、彼と一緒にいられる何かを持ち続けていたくてお願いしたものだった。

喪服に不似合いな、ブレスレットを腕につけ、出棺に向かう。時間はほんのわずかしか残っていなかった。

彼がいってしまう。

本当に会えなくなってしまう。

彼を乗せた車の扉が閉まる瞬間、突然湧き上がってきた慟哭になすすべもなく、振り絞るような嗚咽がこぼれ思わず顔を伏せた。 声にならない声を殺して、顔を上げた次の瞬間、彼はもういなくなっていた。

場違いに明るい春の日差しを受け、コンクリートの地面がぼんやりと光っているだけだっだ。

 

ずっと変わらないもの

あれから1ヶ月以上が過ぎた。 私には日常という生活が戻り、彼が生きていた頃と何も変わらない毎日がある。形見分けにといただいた、彼愛用のブランケットには、ほのかに彼の使っていた柔軟剤の匂いが残り、不思議なことに以前より彼を側に感じることすらある。

彼は最期まで私たちに弱いところを見せなかった。最期まで私たちの知っている彼のまま逝ってしまった。

年が明けてからの彼はかなり苦しそうだったと、ご家族に聞いた。最後の数日は、横になって眠ることすらできなかったと。それでも彼は弱音らしい弱音を吐かなかった。

もっと頼って欲しかったという寂しさも、もちろんある。でも、これまで一緒に過ごしてきた、バカみたいに楽しかった時間を大事に思ってくれていたからこそ、その関係を守ろうとしてくれたのかなとも感じている。

私はきっと、もっともっと彼の死をちゃんと悲しみたかったんだと思う。その悲しみすら、親友だった彼を感じることのできる、大切な感情だと思っていた。心に深い傷を刻み込んでおきたかった。 でも、そうはならなかった。

それは、苦しかった彼の最後を見届けられなかったからかもしれないし、普段は別々の生活を持つ「友達」という関係性のためかもしれないし、もしかしたら私の心がいつしか鈍くなってしまっていたからなのかもしれないけど、彼がいなくなって私の中に残ったのは、もっと穏やかで温かい感情だった。

彼の写真を眺めている時、彼にもらったブランケットに触れている時、お揃いのブレスレットを手につける時、ボーッと空を眺めている時、いつだって彼を近くに感じることができる。話すことだってできる。

寂しいけれど、悲しくない。会えないけれど、ちゃんと力をくれる。

これまでと変わらない。これからも、ずっと友達でいられる。

もっと生きたかった彼にしてみれば、身勝手な解釈だと思われるかもしれないけど、そんな風に友達で居続けることが、今の私にできる精一杯のことで、彼が生きれなかった毎日を、ちゃんと生きていくことが、守らないといけない彼との約束なんだと思う。

それでいいと、彼は笑ってくれるかな。

転職するときにはあんまり気にしないけど、満足度が結構上がるポイントを見つけたよ

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こんにちは。SATTYです。

GWが風のように去っていきましたねー。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

私は食い倒れの街大阪で、食い倒れたあげくに太りました。

 

さて、そんなどうでもいい話は置いておいてと、どっこいしょ。
今回のお話はズバリ転職!でございます。

実は私この4月に転職をしまして。あらためてその時のことは書くつもりなんですけど、最近しみじみと実感していることがあるのです。

転職する前は、あーだこーだそーだと色々1人で考えて、これが私の転職活動だーと鼻息荒くしておりました。そして、実際に転職してみて、これまであまり気にしていなかったけど、これ意外と転職考える時のポイントかも!ってことがあって、サクッと紹介してみたいと思います。

 

転職の経緯

まずは簡単に、SATTY転職の背景を。

SATTYの前のお仕事は、とある企業のWeb担当者でした。すんごい楽しい仕事も色々させてもらっていて、結構待遇も良くて、最近世間で言われているような、いわゆるブラーーーーックっていう会社では全くありませんでした。

話せば長くなるので今回は割愛するけれど、んじゃぁホワイト企業だったらみんな辞めないかっていうと、そういう訳でもない。人それぞれ色々な理由で去っていくことだってあるわけですよ。

福利厚生やお給料という、ひっじょーに魅力的なアイテムを捨てるという決断に到るまでには、後ろ髪抜けるぞっていうくらい引っ張られて、そりゃあ迷いもしたんだけど。

自分がもうちょっとだけ、思い描いているような人生を切り開くためには、ここじゃないなって思って、転職を決断しました。

ちょうど運よく、とても行きたい会社とのご縁もあり、これはもう運命だと思うことにしよう!と神様にちょっと責任をなすりつけてね。スリスリ。

 

「転職に求めること」ランキング

転職しようと思い始めてから、行きたい会社に巡り合うまでには、一通り転職者が通る過程もこなしていきました。

転職サイトー、エージェントー、自己分析ー、企業調査ーとかとか。

転職を失敗させないために、自己分析せよ!ってよく言われていますよね。

何回もやりましたよー、「私にとっての転職の優先順位は?」をテーマにした自問自答。そういう系の情報って、ググると鬼のように出てくるから、何を信じたらいいのかもうわからない…って呟きたくなるくらいには、情報収集しました。

そんで、現状と自分の希望とか、色々な要素を考えた結果、私の場合の転職における優先順っていうのは『お金<プライベートとの両立<社風<やりたいこと』って感じになったんですね。

お金を十分もらっていたのに満足できなかった現状があったので、多少の給料ダウンは覚悟しても、その会社でできる仕事(短期的ではなく、長い目でみて)内容の方を重視しようと思いました。

できれば、仕事とプライベートの境目が曖昧になるくらい、自分が楽しんで取り組める好きな仕事をしたいなぁとかね、思っちゃったりしてね。

その上、ハードワークでもない感じで一つよろしくぅ、みたいな。お給料は、将来的にちゃんとあがっていけば全然オッケーなんで、みたいな。

年齢の割にはちょっと現実感のないいくつかの夢と希望とワガママを胸に、理想の会社探しに乗り出したわけです。サァ、どうなる!

 

自己分析がうまくいっていると、確かに転職はいい感じになるかも

肝心の転職活動については、またの機会にゆずるとしてー。

概ね、『お金<プライベートとの両立<社風<やりたいこと』を叶える形で、SATTYは無事に転職をすることができました。ありがとー。

で、実際に4月から働いているわけなんですが、散々考えたあげくに納得した会社なので、やっぱりブレは少ない。自己分析ってやってみるもんですよ、マジで。

SATTYの場合、「何をするか」と「誰とするか」ってところを特に重視していたわけなんですが、譲れないポイントがずれていないと、本当に毎日が気持ちいい!

誰と何をするか、が自分の希望に沿っているというのは、私にとって「どう働きたいか」「どう生きていきたいか」に直結するんですよね。

ここがスッと馴染むと、より「素」の自分に近しい生き方ができるんです。無理な背伸びとか、自分を作ろうとすることをしなくていいというか。

(もちろん、最初はそれなりにドキドキもするし苦労もするけどね)

 

意外とすんげー良かった変化

「素」に近い生き方ができるっていう話をしたんですけど、中でもこのポイントが意外と満足度を上げてるわーっていうのが、「服」

前の職場って、いわゆるスーツ・オフィス系のキレイ目な服装がルールだったんですね。それが転職後は、完全カジュアル。ジーパン万歳、スニーカー・帽子も全く問題なしな会社。

えー、そんなことー、それくらい社会人なんだから普通でしょー、っていう声も聞こえてきそうですが、私は好きな服で働けるって、めっちゃ良かった。予想以上。

好きな服がキレイ目だって人は、もう全く関係ない話になるんだけど、私の普段の服装ってだいぶんゆるいんですね。オーバーオール大好きだし、スニーカーも好きだし。

お世辞にもスタイルが良いわけではない女にとってはですよ、ピタッとスカートにヒールとか、マジで苦痛なんですよ。サイズの合うキレイ目パンツとかを見つけたら、色違いで買っておいたりとかね、休みの日には一切出番なしだとわかっていても、やっちゃうわけですよ。しかもなけなしのお小遣いからですよ。それなら新しいスニーカー欲しいわ!とか思っても、平日ほぼ履けないんじゃもったいなくない?とか考えてさ。

それが今や・・・

パーラダーーーーーーイス!

赤いスニーカーも、ズルズルのデニムも、お気に入りのバンドTだって。オールオーッケーーーーーー。

これはですね、ほんとに気分が良いです。気づいた。

 

まとめ

ファッションとか、やりたいこと(仕事)とか、好きなものが近しい人たちって、自分と感覚的にすごく合いやすい人が多くて。今の職場は、日常的な普段着が自分と近しい人たち(要は、ゆるーいファッションで働いている人たち)が、いっぱいいて、やっぱり合うなーって思う人が多いです。

職場で過ごす時間って、すごく長いし、毎日毎日のメインイベント=仕事になるわけじゃないですか。より、素の自分に近い状態を作れると、より「自分らしく」日々を過ごすことができると思うわけですよ。たかが服装、されど服装、っていう感じ。

お役に立てば、これさいわい。

それではまた、次のお話で。

 

お久しぶりの更新。また始めてみようと思います。

こんにちは。SATTYです。

 

ワンカップ大関の中で花火をしたまま、フェードアウトした2015年8月からはや1年半…ゾンビのごとくはてなブログに帰ってきました。

 

neosatty.hatenablog.com

 なにやってんだ…

 

ものすごく気まぐれにカムバックしたため、また気まぐれに消えてなくなる可能性もあるのですが、そんな感じでゆるーくやっていこうと思います。

 

 さて、ここ1年ほどで周囲の環境もいろいろと変わりました。

自分自身はそんなに変わっていないつもりですが、久しぶりに過去自分が書いたブログを読み返してみると、「これ誰が書いたん…?」ってくらい新鮮で、もう一度同一人物として書くことができるか不安でいっぱいです。

 

ただ、こうやって過去自分が書き連ねてきたことを眺めていると、ブログを書いていたことは良かったんだなぁと、しみじみ感じたりもします。恥ずかしかったり訳が分からなかったりするものの、今の自分には決して書けない日記。こんなこと考えてたなーとか、この日は落ち込んでたなぁとか、当時のあの瞬間にしか書けなかった自分の記録が、ちゃんと残っていました。

 

おそらく、ブログに残していなければ、二度と思い出すこともなかったであろう日々の感情を掘り起こして、懐かしいやら、いやはやです。

 

休眠していた期間に非常に嬉しいコメントを付けてくださっていた方もいて、放置するような形になってごめんなさい。また見つけてくれるといいなぁ。

 

さて、そんなわけでまたしばらく、ここで暮らしていこうと思いますので、よろしくお願いします。

 

それでは今日はこの辺で。

また、次のお話で。

 

 

ワンカップ大関と線香花火

この夏は、夏祭りには行けなかった。
この夏は、旅行には行けなかった。
この夏は、花火大会には行けなかった。

私の夏といえば、実家のある京都で毎年祇園祭に出かけるのが恒例だった。少々背伸びをした浴衣の袖に手を通し、テンテンと下駄の音をならしながら、人とお囃子でいっぱいになった京都の町を歩く。

たくさんの友達の笑い声と、露店で張り上げるおじちゃんの楽しげな声と、口いっぱいに頬張ったお好み焼きの甘辛いソースの味。小さな姪っ子たちと、かき氷を片手に興じる花火。それが私の夏だった。

毎年夏が訪れて、自由は少しだけ失われながら、むせるようなアスファルトの熱気に汗を流し、気がつけば遠くに過ぎていく日々。

 ・・・

慌ただしく帰省した数日限りの夏休み、大切な人と過ごす束の間の時間。手元にあるのは、空っぽになったワンカップ大関と、近所のコンビニで手に入れた7本入りの線香花火。

パタパタと雨が降っていた。ワクワクと風が吹いていた。小さなベランダで、風除けになればと気まぐれに突っ込んだワンカップの中の線香花火。

36歳の夏の夜に、コップの中で咲き誇る小さな花火。私は変わらず幸せだろう。

それがこの夏のハイライト。

 

めっちゃキレイやん。

眠気に強炭酸×強カフェインと噂の「ペプシ ストロングゼロ」は効かなかった、私の場合。

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午後二時。やつがやってきた。

やろう、足音もたてずに忍び寄ってきやがった。学校で授業にいそしむスチューデンツや、エクセルとにらめっこするビジネスメンを、瞬く間に恐怖のどん底へと突き落とす、憎むべき存在。

やつの名は睡魔。

誤解してほしくないのだが、私はというとそれは真面目に働くことを希望していたのだ。働きたい、、働きたい、、あぁ働きたい、とうなされるほどに、山積みとなった資料作りに取り組もうとしていた。はず。

しかし、背後からスルリと近づいてきたやつに、「あなた、今から働かなくていいから・・」という、リストラ肩たたきばりの有無を言わさない威圧感でもって、脳内をトントンされた。

ホァ。私はその非情な宣告を受け入れるしかないのか。悔しさのあまりに歯ぎしりでもしてしまいそうだった。実際には、だらしなくも半分ほど口を開いたただの会社員がそこにいたはずだ。

しかし、私は思った。生きるために、定められた時間を働かねばならない会社員である以上、甘んじて受け入れている場合ではない。たとえ、勝ち目のない勝負であろうとも、あきらめたらそこで試合は終わるのだ。誰ががいっていた。

なんとか、やつを倒す術を見いだしたい。生きるために、生き抜くために 。画期的な必勝法にたどり着いた暁には、全世界の戦うビジネスメンから、羨望のまなざしでもって讃えられるはずである。伝説の偉人として、歴史に名を刻む、それも悪くない。

朦朧と重くなる瞼と、崖っぷちギリギリの戦いを続けながら、ただでさえ弱りつつある脳みそを駆使して、ありとあらゆる可能性を考えた。

眠気にあらがう方法を試す

親指と人差し指の間、眠気に効くというツボを全力で刺激してみる。痛気持ちいいだけで変化なし。少々お腹がゴロゴロとうなりだし、予想外にトイレに駆け込む羽目になる。おそるべし、睡魔。

ついでに、カフェインを大量摂取してみる。強炭酸×強カフェインと噂の「ペプシ ストロングゼロ」。

 

http://www.pepsi.co.jp/products/lineup/img/img-pepsi-strong-zero.png

引用:ペプシ公式HP

これさえあればメッタメタのボッコボコだ。一口含んで、ビリビリくる刺激に勝利の祝杯をあげそうになるも、いかんせん持続力に乏しすぎた。1コンマ3秒後。すでに眠い。

こいつは・・飲み続けなきゃぁ、ダメなやつだ・・

違うのだ、私はただ働きたいだけなのだ。ここでひたすらコーラを飲んでいるわけにはいかない。しかも、超刺激コーラを悲痛なまでに暗い顔でなめている私に、周囲が疑いすら持ち始めている。「こいつ・・眠いんじゃね?」事態は深刻だ。

眠気の原因は・・・神だった

アプローチを変えてみた。そもそもなぜこれほどまでに眠いのか。原因をつきとめ、根本から根こそぎバスターだ。

そもそも眠気とは何なのか、それをまず調べる。すると眠気の元となる「睡眠物質」にアデノシンというやつがあるらしい。

参考:なぜ、コーヒーを飲んでも眠くなるのか? | ビーカイブ

 

やつの正体はこいつか。アデノ・・神・・。いかにも支配力の強そうなやろうだ。

アデノ神は、脳内に居座り一定レベルを越えると私の脳みそが「もう寝た方がいいよ」と、やさしい彼女みたいに潤んだ上目遣いでささやくらしい。

貧弱な脳みそめ。つまりはこういうことか。

アデノ神「くかかかか・・・おろか人よ。働くがいい。なにも知らずに呑気なものよ」

脳みそ「うぅん、うぅん、アデノ神さまぁ。そんな意地悪しないでくださいー」

アデノ神「やかまし!ほーら、もう少し、もう少し」

脳みそ「きゃーーーー」

アデノ神「越えたーーー許容値越えたーー、ほれ!行ってこい!」

脳みそ「もうちょっと待ってください・・」

アデノ神「もうダメー、これ以上待てないー」

脳みそ「ひーーん・・いってきますぅ・・」

・・・

・・

「ねぇ・・・もう・・・寝よ?」

・・というわけだろう。知らんけど。

食べたら眠くなるとかのダブルパンチ

さらに私は恐ろしい事実に気づいた。・・・天丼だ・・・。昼に平らげた天丼が私の胃袋にデンと居座り、いっこうに消化の気配を見せないのが、うっすら気がかりではあった。今やおそらく胃袋には体中の血液という血液が集結している違いない。

くそっ、つまりはこういうことか。

血液「すまん・・俺・・胃袋んとこいくわ・・」

脳みそ「ずっと!私のそばで、見守っててくれるって!いったじゃん!」

血液「あいつ、俺がいなきゃだめなんだ・・」

脳みそ「なんで・・?ねぇ、なんで?」

血液「天丼がさ、天丼があいつを苦しめてるんだ・・」

脳みそ「ひどいよ、わたし・・眠くなっちゃうよぉぉ」

血液「おまえなら、大丈夫だよ。一人で頑張れる子、だからさ」

いつだって、弱い女には勝てないっていうのかよぉ・・。そんなことはどうだっていい。

結局眠気に勝つにはこれしかない・・

私はアデノ神にぶちのめされて、さらには惚れた血液にすら捨てられるというズタボロ状態のまま、ひたすらツボを押し続け、持続性のないペプシをなめ続けた。

しかしそれも時間の問題。いつしか意識がとぎれがちになり、瞼がついに世界を遮断しようとした、そのとき。

ぺらぱーぴぴーぽろろーぴぴぺー

私のケイタイの着信がなった。まぬけなラッパのメロディーにビクリと体が反応する。

バクバクバクバクと心臓が波打つ。さっきまでのアデノ神なんぞ、どこのどいつだと言わんばかりに、私の脳内は覚醒した。

いつだって、結末は突然に訪れる。私の脳裏には、高らかと勝利の拳を突き上げる心の臓の姿が見えた。まごうことなき英雄の姿が。

救いはいつも己の中にある。それを呼び覚ませるかどうかは、自分次第だ。

 

と、いう懺悔をここに。

 

それでは今日はこの辺で。

また、次のお話で。

又吉直樹著【東京百景】をよんで。0か100か、白か黒か、それとも。

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Ángelo González | Flickr - Photo Sharing!

昔から私は何かを成そうという時に、0か100かを求める節があったように思う。

0の時はこれから何者にでもなれるという未来の自分への期待に胸が高揚する。100の時のことは、おそらくこれまでの人生でまだ知らない。知らないのだけど、100なんじゃないかと錯覚するような瞬間は、また恍惚としていて心地がよい。世間的にはこれを自分に酔っているという。

裏を返せば、たとえば20とか30とかの状態を避けて生きてきた。形になる気配もまだ漂わず、これはこのまま続けても何者にもなれないんではないか、と不安だけがつきまとうような、苦悩の20から30。

世の中で成功者と呼ばれる人たちは、みな気がつけば100を越えている人だと信じていた。0から始まり、20も30も知らずに「あれ、今100じゃね?」と気づく。それが才能であり才覚だと。私はそんな選ばれしスーパースターになりたかった。もっとわかりやすくいうと、苦労も努力も嫌いな甘えん坊だった。

苦悩の20にさしかかる頃に、頭の中で声が聞こえる。

「20に自分に気づいちゃってる時点で、ハイ、オツカレってとこかな。」

さすればどうするか。0に戻ればよい。「潔さ」「割り切り」という便利な言葉を身につけ、また違う何かを探しに行く。なぜなら0の状態に戻れば、また自分に期待をすることができるからだ。それは都合がよく、何より楽だ。

しかしいよいよ30年以上も生きていると、新しい何かを探すのにも苦労する。映画でもとりますか、女優にでもなりますか、お面職人にでもなりますか、心理学者にでもなりますか。そして人生が終わるまで、それを何度も繰り返しますか。

周りを見渡して、遅ればせながらに気がつくと、5や10を悶絶し、20も30も吹き飛ばし、40も50も嬉嬉として、60、70、80、90と地獄を楽しみ続けたものこそが、スーパースターだった。

白でもない黒でもないグレーで鬱々とした苦悶に喜びを見いだせたものこそが、それを語る術を知るのだ。
 
と、こんな気難しい文章を書いているのには理由があって、又吉直樹さんの「東京百景」を読んだ。
 
東京百景 (ヨシモトブックス)

東京百景 (ヨシモトブックス)

 

 

 やりたいこととやるべきことの狭間で葛藤することを正当な苦悩だと信じて甘えていた。
一部の人にしか伝わらない深さを持つ交渉な作品は確かにある。わかりやすく大勢の人を引きつける作品も確かにある。しかし、作る側がそんな市場を意識するのは作品の弱点を補うための言い訳に過ぎないのかもしれない。悩むのも、割り切るのも自己弁護に過ぎないのかもしれない。
 
又吉直樹著「東京百景」より

 

彼は私からみれば、才能の塊のような人だけど、彼は決して突如100にたどり着いたスーパースターではなかった。自伝のように語られる100のエッセイから匂い立つ、フツフツと煮詰まった自意識や混沌とした苦悩。

寄り添えない不可思議な感覚もあれば、同化しそうなほどの共鳴も感じる。白でも黒でもないグレーな感じが、心地よく胸に迫る良書だった。
ああ、思い知る。生きていることなんて、答えのでないグレーばかりだ。苦労知らずの甘ちゃんが目指す20の壁は遙かに遠い。
 
それでは今日はこの辺で。
また、次のお話で。