SATTYのDREAM LIFE!

人生はたくさんの夢と物語でできているのだ。空想と妄想がつまった私の日記。

生涯をかけて人を愛し続けた犬が最後に伝えた3つの話。

こんにちは。SATTYです。

今日は、こんな話を。大切な動物と暮らしているあなたへ。

生まれた時は小さい小さい赤ん坊だったのに、いつしか私たちの年を追い越していく犬。この話は、私が人生の中で唯一ともに生きた犬のコトを考えて書いた、もしもの話です。

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ママと僕と、もう一人のママと

僕は6匹の兄弟たちと一緒にこの世界に生まれて、みんなと同じようにママのおっぱいに夢中になった。この世界はまぶしくて、目をあけることにすら時間がかかり、僕は、兄弟たちのあったかい体温と、ママのミルクの匂いだけを頼りに懸命に手足をもがかせて、生きていたんだ。

それからしばらくたったある日。僕たちの家にやってきた大きな何かは、ひょいと僕を手のひらにのせて、「この子は度胸がすわってる」そう言った。つるりと毛の生えていない手の上で、僕はバタバタとただ手足を動かしていた。

 そのまま僕は大きな手に抱えられ、どこか知らない場所に来た。ママと兄弟たちのいない世界は、心細くてたまらなくて、僕はしばらくの間ずっと震えていた。

大きな何かは、ずっと僕から離れずに、ミルクでふやけた柔らかいご飯を大きな手にのせて、ただじっとしていた。しばらくして、僕がご飯をペロッなめると、「ああ、いい子」と頭をやさしく撫でてくれた。あったかくて優しくて大きい何かを、僕はもう一度ママと呼ぶことにした。

ママはいつも僕をみていた。だから僕もママを追いかけた。僕が座っても、僕がおしっこをしても、僕が走っても、いつもママは笑ってほめてくれた。ママにかまってほしくて、ふわふわの白い紙を箱の中から全部引っぱりだした時には、少しだけ怖い顔をしたけれど。

ママ、ママ、僕のママ。大好きな僕のママ。

彼女と暮らしたある日のできごと

今日も彼女は帰りが遅い。何してるんだ、オレをほって。薄暗くなる空を見つめながら、彼女の帰りをじっと待つ。彼女のいない部屋の中はガランとしていて、寂しさが胸につのる。食べかけの食事が皿に残っているけれど、あいにく今はそんな気分じゃない。腹はずいぶん減っているはずなのに。

カチャリと鍵の音がして、オレは思わず立ち上がる。「遅いじゃないか」と文句の一つも言ってやろう。そう思っているのに、体は言うことをきかない。「ごめんね、遅くなって」そういって抱きついてくる彼女の頬に、力いっぱいのキスをして、彼女のあたたかい胸の中に顔をうずめる。あぁ、こうやっていつも彼女のペースになるんだ。

一緒に散歩にでかけ、一緒に食事をする。一緒に風呂に入り、一緒に眠りにつく。眠っている彼女の顔はとても穏やかで、それを見つめながら静かに目を閉じる、その瞬間にオレはとてつもなく幸せを感じるんだ。彼女と一緒の布団の中は、とてもあたたかい。彼女は眠りの中でも、優しくオレの背中をなで続ける。朝になればまた、彼女との一日が待っている。

あの子に聞かせる最後の想い出話

最近この子はすぐに悲しそうな顔をする。だから私は、少しふんばって足を伸ばし立ち上がる。大丈夫さ、ほら、ご覧よ。優しいこの子は、それでもやっぱり悲しい顔で、震える私の体を支えようとする。あぁ、私にはもうこの子を笑わせてやることができないのか。

愛しい子の膝によりかかり、そっと顔をのぞき見る。さらりさらりと私の肩を撫でながら、じっと私を見つめる目には、今にもあふれそうな涙がたまり、瞬きをするとポツリと落ちた。

もう一緒に食事をすることができなくなってしまった。もう一緒に歩くことができなくなってしまった。日がな横たわり眠る私の側を、片時も離れようとせず、ただじっと側に座り「大丈夫、大丈夫」と呟きながら、もうすぐそこまで来ているその日を、この子は一緒に迎えようとしてくれていた。

あぁ、愛しい子。お前の腕の中にずっと抱かれていたいけれど、どうやらお別れの日が来たようだ。最後に話をしよう。私が生まれてからこれまでの話を。私には愛するママがいて、天気のいい日はいつも一緒に散歩をしたもんさ。私には愛する恋人がいて、ケンカをしながらたくさんの想い出を作ったもんさ。そして私には愛するお前がいて、今人生を終えようとしている。

あぁ、もうお前の顔が遠く見えなくなってしまったけれど、私の目の中には愛し続けた愛しい人の笑う顔がはっきりと残っている。だから、どうか泣かないで。最後に、力いっぱい抱きしめてくれないか。私にとって、このぬくもりが人生の全てだったんだ。

 

あとがき

もう20年ほど前、我が家にきた小さな子犬。ミニチュア・シュナウザーの男の子でした。それから彼が亡くなるまでの15年、私たち家族は彼を中心に回っていたといってもいいでしょう。彼が死んでしまったあの日、私は母から連絡を受け、飛ぶ様に家に帰りました。冷たくなってしまった彼を見た瞬間、私は声を上げて泣きました。目を真っ赤にした母が、夜中に腕の中で眠るように逝った彼の最期を話してくれました。

あれからもう6年。今でも時々考えます。彼は私たちの家に来て、幸せだっただろうかと。小さな頃、ずっと私たちの後を付いて回っていた無邪気な姿。数年たち、青年になった彼は時に生意気に、時に強烈なヤキモチをやいて私たちを困らせもしました。そしていつしか、私たち家族の年齢を追い越してしまった彼は、静かに静かに年をとり、誰よりも早くに死んでいきました。

これは人間である私のエゴでしょうか。もしかしたらあの子の人生の中で、私たち家族は母であり恋人であり娘であったのかもしれない。あの子の愛する存在は私たちが全てだったのかもしれない。あの子が年を重ねるごとに、私たちは一番大切な人であり続けたのかもしれない。そんな風に思った時、同じだけの愛情をちゃんと返せていたかなと今でも考えます。それだけたくさんの無償の愛情を私たちにくれていたような気がするのです。

ある犬の生涯をかけた愛の話。そんな話を書きました。

それでは今日はこのへんで。最後まで読んでくれてありがとうございます。

では、また。