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SATTYのDREAM LIFE!

人生はたくさんの夢と物語でできているのだ。空想と妄想がつまった私の日記。

春の日に逝ってしまった親友のこと

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こんにちは。SATTYです。

つい先日、大切な大切な大切な友人を、ガンで亡くしました。まだ30代でした。

あっという間に終わってしまった通夜・葬儀。

あれから1ヶ月がたった今でも、心がまだ何も実感しておらず、悲しむことすらできていません。

この1ヶ月、ずっと自問自答を繰り返し、何も答えが見つからなかった。

とても不完全なこの気持ちですら、彼と私の関係の大事な一部だと思うから、ちゃんと残してたいので、書くことにしました。

この1年を振り返った、長いお話になるので、読みたい人だけ、読んでね。

もしかして、私と同じように大事な何かとのお別れをした人が、何かを感じてくれたらと思います。

 

突然の知らせ

ちょうど、去年の今頃。その知らせはあった。

学生時代から、もうかれこれ20年近い付き合いになる親友が送ってきた1本のメールには、「もしかしたら、少し重い病気になったかもしれない、検査入院をする」と書かれていた。

驚いて、すぐに電話をかける。なんとなく、どこまで踏み込んだらいいのかわからなくて、少しばかり遠慮しながら、ただひたすら、彼の体と心の動揺を案じた。

その病気は過去に私の母が経験し、完治させているものだったから、

「まだ決まったわけじゃない、もしそうでも、必ず治そう、治るよ」

と、繰り返し繰り返し伝えた。

それから検査で度々入院することはあったものの、彼自身は元気で、それからも一緒に遊びに出かけたりした。

美味しいお肉を食べて、男のくせにカワイイものが大好きな彼に付き合って、吉祥寺にあるメルヘンなカフェや雑貨屋さんをウロウロと巡った。

「やりたいことって、気づいた時にすぐやらないとあかん。ふとそう思って、今まで行けてなかった場所とか、舞台とか、行きだしてん。そしたら病気が見つかった」

彼は、いつも通りの淡々とした口調で話してくれた。

そんなことってあるんだろうか、まるで運命が教えてくれたみたいなこと?

でも、それは何だかすごく不吉な未来を想像させるような気もして、私は「やりたいことは、すぐにやらないとあかん。わかった。」と、その言葉だけを胸に刻み、考えるのをやめた。

それから約1ヶ月、いつまでたっても終わらない検査にヤキモキしていた頃、最悪の結果が知らされた。

「末期ガン。もう手術することは難しい。」

その言葉を理解して受け入れるまで、少し時間がかかった。勤務中だった私は、外に出てなぜか母に電話をかけた。受話器の向こうの母に、彼の病気のことを説明しながら、ようやく脳が状況を理解し始め、私は声をあげて泣いていた。

 

残された時間

それから半年間。私と、私たちの仲間は、何度も彼と会った。まるで学生だったあの頃のように。何かを見つけては予定を作り、時間が許す限りの約束をした。

残された時間はわずかかもしれない…なんて気持ちはサラサラなかった。ずっと私は、彼は生きるんだ、と思っていたし、彼は変わらず元気だったから。

抗がん剤はよく効いていて、ちょっとデプッとしたお腹も、ちっとも小さくならないし、お酒もヘベレケになるまで呑んでいたし、変わったことといえば、マスクを手放さなくなったことと、少しだけ疲れやすくなったこと。

抗がん剤とは付き合うことになるだろうけど、治療は時に彼を苦しめることもあるだろうけど、まだまだ一緒に年をとっていけると思っていた。あと50年とは言わないから、せめてもう少し私たちが、分かりやすくオジさんオバさんになるまで。それは奇跡みたいなものなのかもしれないけど、私たちにとっては奇跡なんかではなく、現実としてそう信じていた。

それでも時々、彼の話をしていて涙が止まらなくなったりしていたのは、私が完全に彼の生命力を信じきれていなかったからなんだろうか。

 

人生に向き合って生きるということ

彼自身も、生きるつもりでいたと思う。仕事の復帰に向けて、一人暮らしまで始め、異動に向けた準備に動いていた。(実家が近い病院の近くに引っ越したのだ)

正直なところ、彼が仕事に戻ると聞いたときは、びっくりした。あまりにも早すぎるのではないかと。まだ、しばらくは病気と向き合うことだけを考えたらいいじゃない、そう本人にも言った。

「まだ、職場に恩返しができていないねん」

彼の答えを聞いたとき、自分が情けないようなどうしようもない気持ちになった。そんな発想は私にはまるでなかった。正直なところ、仕事なんて休める真っ当な理由があるなら、存分に休めばいい、と思っていた。幸いにも、彼の職場は休職していても、十分な保証をしてくれる会社で、当面のお金の心配はいらない。

「まだやりたいことがあったのに、悔しい。」彼は会社の人の前で、そう泣いたらしい。仕事へのそんな情熱を、私はいつ忘れてしまっただろうか。悔し涙を流すほどに、ちゃんと毎日生きれていただろうか。そして、なぜそんな彼が、こんな苦しさを背負うことになってしまったんだろうか。

頭の中でグルグルと巡ることに答えがでることはなく、働きたいという彼の小さな願いが叶うこともなく、2016年が終わっていった。

 

次のない約束

年が明けて、彼が約束をキャンセルすることが続いた。どうやら、変更した抗がん剤が体に合っていないようだった。短い入院を何度か繰り返す間に2月になり、久しぶりに会った彼は顔色が悪く、副作用のためか帽子を被り、食事もあまりできずに、「咳が出るから」と、ずっと飴を舐め続けていた。

それでも、知らない人だったらわからないだろう変化だったと思う。体型も変わりなく、よく話もしてくれた。

病院のご飯のことや、治療のこと、春の予定、昔話、いつもと変わらない時間。これまで何度も繰り返してきた時間の一つになるはずだった。

食事の最中にかかってきた仕事の電話が長くなり、後半私は少し席を外した。この時のことを、私は今でも後悔している。この日が、彼と過ごすかけがえのない最後の時間になってしまったのだから。

 

間に合わなかった再会

3月に入り、急激に体調を崩した彼は、そのまま入院生活に入ることになった。メッセージのやり取りは続いていたものの、彼の状況を聞いては、なんていう言葉をかけたらいいんだろうと悩み、気安くメッセージを送ることもできなくなっていた。

見舞いに行くことも叶わず、せめて何か贈り物でも送ろうかと、仲間の1人と相談したりしていた。

母に相談をしたら、「一度きりの贈り物より、なんでもない毎日のやり取りが一番嬉しいものよ」とアドバイスを受けた。私たちの間でぐらいせめて、これまでと変わらない日常の時間を感じさせてあげたい。

彼が好きな音楽の話をしよう。映画の話をしよう。ドラマの話をしよう。

遠慮なんかしなくていいや。たわいのないメッセージをたくさん送って、いつでも側にいると伝えよう。

そしてもう少し暖かくなって、具合が落ち着いたら、顔を見に行けばいい。

母のアドバイスを信じて、春からのドラマをチェックしたりしていたその夜、彼が亡くなったという知らせを受けた。

 

止まった感情

もしもの最悪な想像を一度もしていなかったといえば、嘘になる。その時きっと、私は発狂して泣き叫ぶんだろうと考えたこともあった。

でも、あまりにも、あまりにも突然のその知らせを受けた時、私はただ呆然とするばかりで、涙の一滴もでなかった。

葬儀や通夜の場所、時間、事務的な連絡を必要な人たちに伝え、そういえば喪服を買いに行かなきゃいけない、香典はどうしたらいいんだっけ、そんなことに追われるだけ。

実感がわかない、といえばそれまでだけど、あまりにも自分が薄情な気がして、自分の心の中がわからなくなった。私にとって、彼の存在は、もっともっと大きいはずなのに、本当は壊れそうなくらい悲しいはずなのにと、反応を見せない自分自身に裏切られたような気持ちになった。

 

かけがえのない夜

通夜で久しぶりに彼にあった。おしゃれな彼らしく、ジャケットに可愛いネクタイを締めた彼は、目をつむり眠っていた。ほんの少しだけ痩せただろうか、でも最後にあった日とあまり変わらないように見えた。

不謹慎かもしれないが、通夜の晩は楽しかった。

賑やかなのが好きだったからと、ご家族の厚意で夜通し彼と過ごすことを許してもらえた。いつもと同じ仲間が顔を揃え、彼を囲んでいつもと同じようにたくさん話をした。

学生時代のこと、大人になってからのこと。

彼はいつも私たちの中心にいたから、話題には事欠かず、彼の笑い方や仕草、口癖までみんなありありと思い出すことができた。

どこからひっぱり出してきたのか、昔々のアルバムを広げ、お酒を呑み、笑い、泣き、時折みんな各々に黙り、じっと彼の顔を見ていた。きっと、それぞれが彼との時間を思い出しながら、彼に話しかけていたんだと思う。

「結構、男前やったんやな」

仲間とそんな軽口を叩きながら、じっと彼の顔を見ていても、まだ私には実感が湧かなかった。 私の知っているアイツじゃない、別人みたい。だって、もっと笑ってたやんか。こんな澄ました綺麗な顔じゃなくて、もっと目を細めて、シワを作って、手を叩いて笑ってたやんか。

どれだけ長い時間、彼の顔を眺めていても、その気持ちが消えることはなかった。

「ずっとこうやって話していられたらいいのにね」と、仲間が呟いた時、私も全く同じことを考えていた。

この夜が続けば、ずっと彼と一緒に居られる。仲間で集まった時は、いつも名残惜しいものだったけど、最後の夜は本当に一瞬一秒が忘れがたい夜になった。

 

車の中で流れた涙

葬儀の日は、それはそれはよく晴れた。

前夜の寝不足を引きずった頭でボーッとしながら斎場へと向かう車内、彼と私たち仲間との思い出の詰まった音楽を、ずっと流し続けていた。

相変わらず、心の反応は鈍く辛いとか悲しいとかいう感情はどこかに行ってしまっていたけど、音楽が流れるたびに、涙腺はゆるみ涙がこぼれた。

ちゃんと涙が出ることに少し安心して、途中でもう拭うことをやめた。ボタボタと、止まることなく流れ出る涙は、薄い化粧を流し、顎から滴りおち、握りしめていた真っ白なハンカチを濡らして、斎場に着く頃には、私はボロ雑巾のような有様になっていた。

 

一瞬の別れ

粛々と葬儀は執り行われ、彼と最後の別れをする時が来た。

花でいっぱいになった棺桶の隅に、前夜みんなで書いた寄せ書きと、仲間と作ったお揃いのブレスレットを入れた。一つでもいいから、彼と一緒にいられる何かを持ち続けていたくてお願いしたものだった。

喪服に不似合いな、ブレスレットを腕につけ、出棺に向かう。時間はほんのわずかしか残っていなかった。

彼がいってしまう。

本当に会えなくなってしまう。

彼を乗せた車の扉が閉まる瞬間、突然湧き上がってきた慟哭になすすべもなく、振り絞るような嗚咽がこぼれ思わず顔を伏せた。 声にならない声を殺して、顔を上げた次の瞬間、彼はもういなくなっていた。

場違いに明るい春の日差しを受け、コンクリートの地面がぼんやりと光っているだけだっだ。

 

ずっと変わらないもの

あれから1ヶ月以上が過ぎた。 私には日常という生活が戻り、彼が生きていた頃と何も変わらない毎日がある。形見分けにといただいた、彼愛用のブランケットには、ほのかに彼の使っていた柔軟剤の匂いが残り、不思議なことに以前より彼を側に感じることすらある。

彼は最期まで私たちに弱いところを見せなかった。最期まで私たちの知っている彼のまま逝ってしまった。

年が明けてからの彼はかなり苦しそうだったと、ご家族に聞いた。最後の数日は、横になって眠ることすらできなかったと。それでも彼は弱音らしい弱音を吐かなかった。

もっと頼って欲しかったという寂しさも、もちろんある。でも、これまで一緒に過ごしてきた、バカみたいに楽しかった時間を大事に思ってくれていたからこそ、その関係を守ろうとしてくれたのかなとも感じている。

私はきっと、もっともっと彼の死をちゃんと悲しみたかったんだと思う。その悲しみすら、親友だった彼を感じることのできる、大切な感情だと思っていた。心に深い傷を刻み込んでおきたかった。 でも、そうはならなかった。

それは、苦しかった彼の最後を見届けられなかったからかもしれないし、普段は別々の生活を持つ「友達」という関係性のためかもしれないし、もしかしたら私の心がいつしか鈍くなってしまっていたからなのかもしれないけど、彼がいなくなって私の中に残ったのは、もっと穏やかで温かい感情だった。

彼の写真を眺めている時、彼にもらったブランケットに触れている時、お揃いのブレスレットを手につける時、ボーッと空を眺めている時、いつだって彼を近くに感じることができる。話すことだってできる。

寂しいけれど、悲しくない。会えないけれど、ちゃんと力をくれる。

これまでと変わらない。これからも、ずっと友達でいられる。

もっと生きたかった彼にしてみれば、身勝手な解釈だと思われるかもしれないけど、そんな風に友達で居続けることが、今の私にできる精一杯のことで、彼が生きれなかった毎日を、ちゃんと生きていくことが、守らないといけない彼との約束なんだと思う。

それでいいと、彼は笑ってくれるかな。