SATTYのDREAM LIFE!

人生はたくさんの夢と物語でできているのだ。空想と妄想がつまった私の日記。

【創作】もしも空き缶がゴミ箱で夢を語りだしたら

こんにちは。SATTYです。

土曜日がうちのエリアの空き缶回収日なんですけど、思いのほかに溜め込んでて袋いっぱいの空き缶の迫力に、ちょっとひいてしまったんですよね。

単体だと何も感じないのに、集まるとウォって思うことってないですか?私キウイの黒いつぶつぶとか、わりと無理です。タラコは大好きです。

話がそれましたが、空き缶の大群にウォってなって、「こいつら・・どこいくんやろな」と思ったら、なんかみんなこっち見てるような気になってきて切なくなったので、今日はそんな彼らの物語をお届けしたいと思います。

今日の登場人物

キリン のどごし生

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口は悪いが熱いやつ。仲間が多い。

サントリー 金麦

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お茶目なおてんば娘。

アサヒ スーパードライ(135ml)

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ドライなカリスマ。

キリン バタフライ〜のんきに紅茶〜

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突如あらわれたスーパーホープ。マイペース。

レッドブル 翼をさずける

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いつも心は空を飛ぶ芸術肌。

伊藤園 ティーズティー

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優しさの塊。

伊藤園 タリーズコーヒーブラック

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知的な紳士。

サントリー BOSS〜トレジャーハンター〜

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ボス。

本日はこの8名の精鋭が大海原へ繰り出す直前の物語。ちなみにキャラ設定は製品の味には一切関係ありませんので悪しからず。

物語『空き缶のブルース』

BOSS「いいかみんな、ついにこの時がきた。旅立ちの時は・・・もうすぐそこまで迫っている。」

レッドブル「旅立ちの朝は、いつも空が泣いている・・」

のどごし生「オレ、お前らちょー好きだった。まじで愛してたわ」

タリーズ「やめたまえ。まだ我々には残された時間がある。別れを嘆くのは早い。」

金麦「そーだよっ。」

バタフライ「僕、寝てもいいですか?」

のどごし生「ちょ、おま、ふざけんな!」

ティーズティー「まぁまぁ。」

スーパードライ「いんじゃない?好きなようにしてればさ。しょせん僕らって他人じゃん」

金麦「他人じゃないよっ。もう2週間も一緒にいたんだし、友達だよっ。」

レッドブル「友とはすなわち同じ空のもとを生きる他人・・か」

タリーズ「せっかく同じ袋の元に集ったんだ。最後の夜を、おおいに楽しもうじゃないか。」

ティーズティー「そうね、そうしましょう。」

BOSS「では、われわれの最後の夜に・・中身はないけど乾杯!」

ーそうして空き缶たちは思い思いの夜に花を咲かせる

のどごし生「オレはさ、最初にここにきたから。なんつーか、新しいやつが来るたびいろんなことを考えたんだよ」

ティーズティー「たとえば?」

のどごし生「最初に友達になったのは、金麦だったよな。マジ嬉しかった」

金麦「だよねっ。同じ第3のビールっていう共通点もあって、すぐに仲良くなったよね」

スーパードライ第3のビール、ね」

のどごし生「なんだよ、お前なんか言いたいことあるのかよ。お前・・自分が生ビールだからって見下してんのか!お前、135mlの超ミニ缶じゃねーか!」

スーパードライ「・・・」

のどごし生「なんか言えよ!ちっちぇーんだよ!」」

ティーズティー「やめなさいよ。ね。いい子だから。」

スーパードライ「馬鹿なこというなよ。君たちが出てきてから、僕らの仲間がどれだけの打撃を受けたか、知ってるのか?僕は・・・僕はビールとしての誇りを持って仲間を守るために生きている。ただそれだけだ。」

金麦スーパードライ・・そうだったんだ・・。のどごし生、ね、謝ろうよ。スーパードライも私たちと同じ麦からできた仲間じゃない」

のどごし生「・・・」

金麦「のどごし生っ」

のどごし生「・・スーパードライ、わりぃ。オレ、お前に嫉妬してた。」

レッドブル「空は、心を洗い流す・・妬みも憎しみも」

スーパードライ「やめてくれよ」(ちゃぷん)

のどごし生「ちょ・・おま・・おま、飲み残し入ってね?ちょっ」

スーパードライ「な、何言うんだよ、入ってないよ」

のどごし生「いや、おま、ちょっ。くせー、おまえ飲み残しくせーよ。はははは、くせーおまえ。くせー。はははは。おまえも、オレといっしょ・・か。オレら、空き缶になったら、くせーんだよな。麦だもんな。ははははは」

スーパードライ「一緒にするなよ」

のどごし生「ははは、もうおせーよ。はははは。オレら仲間だわ」

パン・・・パン・・パン・パンパンパチパチパチパチ・・

タリーズ「そうさ、君たちは仲間さ。」

タリーズが手を叩き出し、それは空き缶たちみんなに浸透する。いつしか大きな拍手が湧き上がっていた。

ティーズティー「もう、やれやれね。手のかかる子たち」

バタフライ「zzzz・・・zzzzz」

金麦「やだっ、バタフライほんとに寝てるの?」

BOSS「こいつのよさは、この度胸・・だな」

タリーズ「きっと、大物になるに違いない。」

金麦「ねぇ、バタフライは・・お酒なの?ジュースなの?」

BOSS「酒さ。ただし、1%のな。」

ー一同どよめき

スーパードライ「そうだったのか。また業界に新しい風がふくのか」

BOSS「あぁ。そうやって変化するもんだからな、我々の世界は。こいつは・・うまいぞぉ」

タリーズ「いやはや、アルコール族は活気がありますね、私たちコーヒー族も負けてはいられませんね。」

BOSSタリーズの気品高いボディとハット(ふた)は、絶大な信頼を得ているさ。」

タリーズ「いや、BOSSの種類の多さにはかないません」

BOSS「すでに把握しきれないほどだからな」

のどごし生「BOSSがトレジャーハンターになった時は、度肝を抜かれたよ」

BOSS「ワンダに負けるわけにはいかないだろ?」

レッドブル「空と海は、互いにリスペクトしてる・・ってね」

ティーズティー「私たち、今ようやくほんとの気持ちを分かり合えたのかもね」

タリーズ「君のおかげさ、ティーズティー。君はいつも私たちを優しく包んでくれた」

ティーズティー「そんな・・・」

金麦「ティーズティー、赤くなってるっ」

ティーズティー「な、なってないわ」

タリーズ「今度出会ったら、君と二人で紅茶とコーヒーを混ぜた飲み物を作ろう」

ティーズティー「コーヒーティーかしら・・それとも・・」

タリーズ「なんでもいいさ。ただし、ミルクは多めでね」

ティーズティー「・・・はい・・」

金麦「きゃーーーっ」

のどごし生「おいおいおい、続きは後にしてくれよな」

レッドブル「空の色は、恋の始まりとともに赤くなる・・・」

BOSS「・・・夜明けが近いな」

金麦「・・うぅ・・ぐすんぐすん。別れたくないよぉ・・だってわたしたち・・ぐすん・・s@pげwぁk」

のどごし生「泣くんじゃねーよ、金麦。泣くなよ・・うぅ」

スーパードライ「僕たちは、溶けて一つになって、また生まれ変わるんだろ」

BOSS「あぁ、そうだ。アルミもスチールも関係ない。同じ・・鉄だ。さぁ時間だ。行こう、新しい世界へ。出港ーーーーーーーーー!!!!」

夜があける。大きな大きな車が、彼らを飲み込み、走り去っていった。彼らが語ったこの夜を、まだ誰も知らない。

あとがき

土曜日、ちゃんとゴミ出せるかな・・・

 

それでは今日はこのへんで。

また、次のお話で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【文章のお勉強】自分への弔辞にあなたはいったい何を書く?

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こんにちは。SATTYです。

今日は久しぶりのこの時間!SATTYと学ぶ文章のお勉強です。今日の講師は、私が昔通っていた編集の教室の先生。名前忘れちゃったから、えーと、勘三郎先生ということにしましょう。

もう何年前になるかしら。私は、出版社への就職を目指して、編集の教室に通っていました。同じくらいの年の若者がたくさんいて、みんなめちゃくちゃ個性的で、それはまぁ刺激的でした。そういえば、当時からみんなブログというものを書いて、文章を書く、表現する、ということに日々取り組んでいました。

その教室には日替わりでいろんなライターさんや今やテレビでもその顔を見かける編集長さんなんかが、レッスンしに来てくれるんです。どちらかというと、編集やライターの心構えだったり、業界の話だったりをしてくれるんですが、時々ちゃんと課題がでるんですね。

ある日の授業。講師は勘三郎先生。様々な仕事を手がけてきたおじいちゃん先生で、とても話が面白かったのを覚えています。勘三郎先生が私たちに出した課題は、『弔辞』を書いてきなさい、というものでした。しかも自分への。

その日伝えられたのは、それだけ。私もみんなも、ようわからんなぁ、難しいなぁと言いながらとりあえず書いて提出しました。提出された私たちのつたない弔辞への勘三郎先生の評価は厳しいもので、今回の課題の趣旨を理解している人は誰もいない、というものでした。

弔辞ってそもそもどういうものでしょう

弔辞を辞書で調べると、「人の死をいたみ悲しむ気持ちをあらわした言葉や文」とあります。もうちょっと調べてみましょう。

www.osohshiki.jp

こちらはお葬式のサイトにあったコラム。少し引用して紹介します。

弔辞では何を話せばいいのか

弔辞の際には霊前に向かって二人称で呼びかけるような形式になります。 

故人に対しての想いを語るわけですから、向ける相手も当然ながら故人になります。
何を語るかはその人の自由ですが、遺族や関係者たちが聞いていることも考えなければいけません。

一般的にはなぜ悲しいのか、故人との関わり、尊敬していたところ、どんな人物であったか、今はその人を亡くした悲しみにくれている、などといったことを自分の言葉で表現することが多いようです。これらは抽象的な言葉ではなかなか伝わりにくいため、それにまつわるエピソードを紹介することも多いです。

また、弔辞だからといって堅苦しい言葉は使わず、普段通りの言葉で語りかけましょう。故人に対しての言葉ですから、いつも通りのほうが喜ばれるものです。

ー「小さなお葬式のコラム」より

 その他にも忌み言葉を避ける、であったり、構成などなど正式にはいろいろあるようですが、今回はそのあたりのマナーは少し省かせてもらいますね。

さて、この課題で勘三郎先生は、果たして私たちに何を書かせようとしているのでしょう?

最期に自分に語りかける言葉は、客観的に見た「自分の人生」

弔辞では、その人の人となり、心に残っているエピソード、尊敬していたところ、好きだったところ・・その人へのいろんな想いが語られます。それはいわば最期の手紙。自分自身へ最期の手紙を書くとしたら、何を書くでしょう?

自分はどういう人間で、どういうエピソードがこれまでの人生の中で心に残っていて、どういうところが自分の良さで、そしてその人生にどんな想いがあるのか。勘三郎先生は、自分を客観視して、その人生を言葉に綴ってみろと、そう言っていたんです。弔辞を聞いた列席者に、私という人間の人となりが伝わるように。これがポイントですね。

私もまだ若かったもんでね・・そんなの汲み取れなかったんですよ・・なんかよくわからんことを書いたはずですよ・・。その時は一生懸命だったんですけどね。最近ふと、この課題のことを思い出して、今の自分は、あれから10年以上生きた今の自分は、いったい何を書くかな?と考えたんです。

そこで今日は、もしもSATTYが死んじゃったら。まだ死にたくないけど。最期に自分に伝えたいことを、書いてみようと思います!それでは、参りましょう。

Lesson『弔辞』

SATTY、今私はあなたにお別れを伝えようとしています。

30年以上毎日一緒にいたあなたに、いったいどんな言葉を伝えればいいか、いささか困惑しています。あなたが遠くへ行ってしまうことを、まだ現実として受け止められていないのでしょう。

あなたは小さいときから、それから大人になっても変わらず、少し物思いにふけることの多い人でした。理想と現実のギャップに、随分と苦しんだこともありましたね。いらんことは何も考えない、底抜けにあかるい阿呆になりたい、と何度も口にしていたことを思い出します。

人をすぐに信じて傷ついて、「しっかりせぇ」と叱られることもありました。何度も貧乏くじをひいて、周囲に心配をかけてきました。頼まれごとを深夜まで手伝ったり、人の喧嘩に巻き込まれて神経をすり減らしながら仲介役を引き受けたり。みんなが口を揃えて「もっと楽に生きなよ」と言いました。そんな時あなたは「人を疑うよりも、人を信じて傷つく方がいい」と、どこかの武田鉄矢が歌っていたようなことを言う人でした。

あなたは阿呆になりたいと言ったけれど、私はあなたのその感じやすさがあなたらしさだったようにも思うのです。人のために泣き、人のために怒り、そしていろんなものを感じてしまう不器用さは、あなたを苦しめもしたけれど、本当にあなたを愛してくれる人にも出会えました。

心から信じた友達が、あなたの人生の節目節目で、涙を流して喜んだり我が事のように悔しがってくれました。それだけで、ただ幸せではなかったですか。

無茶な夢もたくさん見てきましたね。いつだったか誰かに人生で一番重要なものは何かと聞かれ、随分考えた末にあなたは「夢」と答えました。夢を現実にできないと知った後も、それでも変わらず「夢」だと言いました。

夢を見続ける虚しさも、葛藤も全て含めて、あなたは夢を持っていることが幸せだったのではありませんか?そして、その夢を同じ方向を向いて見ていてくれる仲間や家族との時間が、何よりも大切だったのではありませんか?

友達と子供のような夢を話し続けた夜も、励ましあって過ぎていった時間も、両親に夢を打ち明けた照れ臭さも、大切な人のつたない声援も、いつもみんな明日へ踏み出す勇気をくれました。あなたが夢を捨てない限り。

お気に入りのマークがバクなのは、あなたが失いたくなかった夢の象徴。分かりやすすぎて恥ずかしいほどですが、夢を食べるバクに憧れたその単純さも、きっとあなたらしさなのでしょう。

あなたのその繊細すぎる心がみたこの世界は、バラ色ではなかったかもしれません。ただ、長い長い日々を懸命に生きるには十分なほど鮮やかであったように、私は今思います。あなたはきっと、たくさんの幸せを抱えて旅立つのでしょう。

どうか、そのまま天国で夢の続きを、今度は叶えてみてください。そしたら、とびきり明るい不器用な阿保になって笑っていてください。

あなたの仏頂面は怖いから、好きな人たちが好きと言ってくれた満面の笑顔でいてください。 今はただ、それだけを願っています。

 

後書きと感想

さて・・・拝聴してくれたみなさん、いかがでしたか?私の人となり、少しは伝わったでしょうか。

なんだか途中で、本当にこの体とバイバイをするような気になって、随分と感傷的になってしまいました。自分という人間を客観視するのは、なかなか難しい。どうしても、知らない人がわかるような具体的なエピソードよりも、自分語りをしてしまいますね。勘三郎先生の及第点には、今回も届かなさそうです。

この課題に取り組むに当たって、それこそ走馬灯のようにいろんな出来事が蘇ってきたんですけど、自分の一番の特長や自分が一番大切に思っているものというのが、不思議とやっぱり一番に浮かび、最後まで残るんですよ。少なくとも今の自分が感じている自分っていうものを書くとしたら。

これ、もしかしたらもうちょっと歳をとったら、また違う風なことを書くのかもしれません。それまでは…成仏できないなぁ〜

さて、あなたは、自分に向けてどんなことを書くでしょうか?

それでは今日はこの辺で。

また、次のお話で。

 

朝7時の満員電車で目撃した7分間の物語

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by mugley

 

ガタタン・・・ゴトトン・・・ガタタン・・・ゴトトン・・・

 

ーMonday AM7:00 東京都西武線車内

おはようございます・・朝もはようから、驚愕の満員電車です。SATTYです。

東京きてから何に驚いたって、やっぱり満員電車の混みっぷりですわ。これだけはなかなか慣れません。かといってこれ以上早く起きることもできません。ほな、どうするか?耐えましょう。耐えましょう。なに、たったの7分間です。私の駅から目的地までたったの7分。歯食いしばって、好きな歌2曲ほど思い浮かべてたら、あっちゅうまです。

あっちゅうま・・なんですけど・・ちょっと今、歌なんか歌ってる場合ちゃいます、私。なんでって、目の前の光景が、ちょっといつもと違うんですもん。

 

車内は限界120%超え程度の人の量で、みんな宙の一点を見つめながら電車が目的地にたどり着くのをじっと待っている。SATTYが立っているのは、ドア付近。かろうじてつかんだ銀色の手すりとの間には、窮屈そうにSATTYに密着するおばさまが一人。

向かい側には手すりに寄りかかるように強面のお兄さんが一人立っている。スーツのジャケットを手にぶら下げ、まくったシャツの袖口からは、よく日に焼けた太い腕がのぞく。みた感じ成績バリバリの営業マン風。でも怒らせたらちょっと、怖そうだ。

そして・・・その強面兄さん(通称:こわ兄)の頭上に謎の物体。

 

なんなん・・・めっちゃ気になるやん・・これ、なんなん。

 

説明しよう。こわ兄の頭の上に、ひょいと大きなビニール袋をかかげる若者がいるのだ。ちょうど出前のそば持ちのように、ビニール袋に入っている何かの「底」を右の手のひら一本で支えているのだ。伝わるだろうか。

若者は大学生くらいだろうか。黒縁のメガネをかけた大人しそうな男の子。かわいいおちょぼ口をキュッと閉じて、うつむいている。(通称:ちょぼくん)

 

あぁ・・ちょぼくん・・金網に荷物置かれへんかったんや・・。せやけど、なんか満員電車でギュッてなったらあかんもん、入ってるんやな。なんなんやろ、これ。なに入ってるんやろ・・サイズ的には誕生日ケーキくらいやけど、ケーキ屋の袋でもなさそうやしな・・まさか・・手作り?ちょぼくん、趣味はケーキ作りとか?ちょぼくん、将来はぱてぃしえ?・・・いや・・どやろ。どうなんやろ。

 

ガタタン・・・ゴトトン・・・ガタタン・・・ゴトトン・・・

 

・・・実は・・ちょぼくんものすごい爆弾とか持ってるんちゃうの。ちょっとでも触れたらアウト的な・・そんなん私確実にふっとぶやん・・今死にたないわぁ・・いややわぁそれ・・ちょぼくん、それはないで。頼むで。てゆうか、ちょっと触れたら誤爆するとか、その爆弾どうなん。ちょぼくん、それで優秀な爆弾職人やって言える?胸張って言えるんか?関係ない人巻き込んだらあかんで、関係ある人でもあかんやろけど。私はそう思うで・・ちょぼくん・・

 

それから想像すること数分。SATTYは異変に気付いた。ちょぼくんの右腕が小刻みに震えているのだ。前方斜め上にかかげたちょぼくんの腕が、明らかにぶるっている。そして、その頼りなさを鼓舞するように、右二の腕付近に、ちょぼくんの左手がそっと添えられた。

 

ちょ、ちょ、ちょぼくーーーん!!あんた、確実に限界きてるやん!!あ、あかんて、あかん。あとちょっとや、あとちょっとで着くから、もうちょっとの辛抱や!あんた男の子やろ!がんばり、がんばりて!今が男の見せ所やで!

 

SATTYは握りしめた手のひらが、じっとりと汗ばむのを感じた。知らず知らずのうちに、見知らぬちょぼくんを、遠い昔に生き別れた弟のような思いで見つめていた。しかし・・事態はさらに悪化する。ちょぼくんの爆弾袋は少しづつ高度を失い、なんとこわ兄の額すれすれに迫っているのだ。こわ兄は、明らかに近づいてくる異物に、チラリチラリと目線をやりだしていた。そりゃそうである。絶対邪魔だ。

 

ちょぼっちょぼっ!!あかん!あんた・・そのままじゃヤられるっっ!!そんな若さで死んだらあかん!まだ、これからまだいろんなことがあるやろ!?楽しいことばかりじゃないかもしらん、でも、人生これからやんか!・・ていうか、変に斜めやからしんどいねん!もっと上!上!上に手を上げて!ちょっと・・イヤァ!!こわ兄のツンツンヘアーに触れてもうてるやんか!

 

無言の車内が怖い。明らかにぶるぶるしているちょぼくんの右腕。その震えは体力からか、それとも恐怖からか。ちょぼくんの額には大粒の汗がにじみ、つーっと鼻筋をつたった。SATTYはあまりの緊張に、虫歯で痛む親知らずをかみしめて、泣きそうになった。

SATTYとちょぼくんの祈りを嘲るかのように、電車は徐行運転を始める。駅はもうすぐだというのに。そして非常なアナウンスが鳴り響く。

ーただいま、信号待ちをしております。信号変わり次第発車いたしま〜す。

 

イヤァーーーーー!何してんねん、今、今なぁ・・・今・・一人の少年が・・こんなにも頑張ってるんやで・・運転手さん・・堪忍したって・・・ちょぼくんを、もう、許したって・・・頼む・・頼むわぁ・・

 

ちょぼくんは、先ほどに増して虚ろな目で、ただじっと時間が過ぎるのを待っていた。その健気な姿に、SATTYは目頭が熱くなった。そうまでして、彼が守りたいものとは、一体何なのか。彼にはもう限界が近づいていた。クンと爆弾袋が揺らぎ、こわ兄の額をこすり、ちょぼくんは慌てて持ち直す。その時、ついに、こわ兄が口を開いた。

こわ兄「・・・なぁ」

(・・・ヤられる・・・!!)

こわ兄「これ・・何が入ってんの?」

(え・・!?)

ちょぼくん「あ・・あの、模型です」

こわ兄「模型か、ハハ」

ちょぼくん「壊れたら困るんで・・」

こわ兄「そうか、ハハ」

 

こ、こわ兄・・・・・・めっちゃ優しいやん・・・・。ごめん、疑って・・ヤられるとかいって、ごめん・・

ちょぼくん・・も、模型か・・そうか・・模型やったんか・・ええよ、ええんよ、そやな、大事やもんな、模型。頑張って作ったんやろな・・爆弾ちゃうかってんな・・ごめんな・・爆弾職人とかいって・・・

 

ー・・・乗車ぁありがとうございました〜・・

 ガタタン・・・ゴトトン・・・ガタタン・・・キィィィィ・・・

気付いた時には、電車は駅に到着し、こわ兄もちょぼくんもスタコラサッと改札にむかって駆け出していた。SATTYは目の前で起きたスペクタクルな7分間に、アルマゲドン以来の感動を覚えていた。なんか・・今日もがんばろ。

この世界には、人の数だけドラマがある。どんよりしたマンデーモーニングを、色付けてくれた、今朝のお話。

それでは、今日はこのへんで。

また、次のお話で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生には無駄な時間が必要だ

こんにちは、SATTYです。

久しぶりの更新になってしまいました。世間はゴールデンウィーク。みなさまいかがお過ごしでしょうか?

ここ数日、いろいろと考えることがあって、なかなかブログに向かうことができずにいました。毎日眺めていたブログも、SNSも、まったく見ないようになってー週間。ぽっかんと穴があいたような気持ちをかかえながら、ただ仕事をして、寝て起きて、毎日を過ごしていました。

そんな私に、今日はとても嬉しいことがあって、今こうして書き始めています。今日はただ自分の気持ちを残しておきたくて、書くことにします。

このブログを唯一読んでくれている友達がいます。彼女はシンガーとして活動していて、私も彼女のファンの一人なのですが、先日こんなお願いを受けました。

「私の曲に、歌詞をつけてくれない?」

私のブログを読んでいて、私の書く言葉が好きだと彼女はそう言ってくれました。もちろん二つ返事で引き受けて、ずっと考えていました。文章と歌詞は、また違うのだろうけど、ぼんやりと頭に思い浮かんだ風景や瞬間を、言葉にして並べてみました。

限られた少ない言葉から、風景や想いがあふれて、誰かの気持ちにより添えればいいなぁと、そんなことを考えて。

今日、その曲が出来上がったと連絡がきて、さっき初めて聞いてみました。なんと言葉にしていいのかわからないような、不思議な体験だったのですが、耳に彼女の歌声が聞こえてきた瞬間、全身に鳥肌が立って目がクワーと熱くなって、ものすごい感動を覚えました。あぁー・・なんだろ、この感じは。なつかしい。

昔、何も考えずにただ楽しくて楽しくて作品作りに没頭していたころの気持ちが蘇ってきて、何もないところからモノを作り上げる感動を、思い出しました。

大人になって、いろいろなことがあって、いろいろなことを忘れてしまって、頭ばっかりでっかくなって、大事な感覚を失くしていって、そういうもどかしい何かが、すっかりどうでもよくなって、何十回とその曲を繰り返し繰り返し、聴き続けました。

私はおそらく、馬鹿でかしこい生き方をできない弱い人間なんだと思います。嫌なことはたくさんあるし、知りたくない感情に触れて、どうしようもなく悲しくなることもある。生きにくい世の中だと感じてしまうし、いろいろ気づかないように、自分を騙していかないとやってられんと思うことがある。

そうやって自分をどんどん忘れてしまいそうになるとき、私を引き戻してくれるのは、唯一、感覚がゆれ動く瞬間。笑ったり、ジンと沁みたり、胸があったかくなったりする感覚。生きていく中で、なくても死にはしないんだろうけど、なくなったらもう自分じゃなくなるんだろうな。

なんでそんなことに山ほどの時間を費やして、一生懸命になるの?って、人からみれば理解できないようなことでも、私にとっては大切だし、誰がなんと言おうと大切だし、誰かにとっては果てしなく無駄なことでも、私はそれを愛したくてたまらないんだから、しょうがない。

目に見えることばかりが全てじゃないだろ、大事にしたいものなんて、人の数だけ存在するんだから。理屈では説明できない感覚的なものが、昨日までの自分を180度変えてくれたりするんだから。

もしもいつか、その感覚を自分自信が理解できなくなって、今書いてることも、はてなんのこっちゃね?って思う日がきたら、私は変わってしまったってことなんだろうな。それはそれで、生きていくには便利なのかもしれないけど。

まだ、変わらずにあの感覚が残ってるってことが嬉しくて、書き残すことにした。誰かと何かを作ることは、本来こんなに幸せなことだと、思い出した。

無駄な時間も必要だ。無駄な話も、必要だ。いろんな無駄が、いつも私を感動させてくれる。

今日はそれだけ。


 

母の日くらい、お母さんのことを考えてみようかなと思って

今日は「母」をテーマに書こうとしているのだけど、さっきから全く筆が、もといタイピングが?進まない。私の中の母の存在は、あまりにもデカすぎて、何をまとめればいいのやら、四苦八苦している。これは長い戦いになりそうだ…。とにもかくにも、私と母の30数年の歴史を、書いてみる。

電車から見える夕焼け空と、私のお母さん

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私が覚えている限り、一番古い母との記憶は、夕方の電車の中。たぶん、京阪電車だと思う。母と二人で、ガタタンゴトトンと電車にゆられながら、私は周囲をまじまじと観察していた。母と同じくらいの年の女性を見つけては、「お母さんの方が、きれい」と、ニンマリほくそ笑んでいた。子供時代、この観察をいたるところで繰り返していたんだけども、母を超える人には結局出会わなかった。

大人になってから振り返ってみると、あの時の感覚はとっても不思議で、きっと母よりキレイな人はたくさんいたんだろうけど、私は本気で疑いもなく自分の母親がこの世で一番だと思っていた。それくらい、母は特別で唯一の存在だったんだと思う。私のお母さんは、他の誰かじゃ嫌だったんだと、そう思う。

母は、ピーカンに晴れ渡った空のようで、とにかく明るい人だった。よくしゃべり、ご近所さんとも仲が良く毎日とても楽しそうに生きていた。若干根暗気味だった幼い私は、いつも明るく前向きな母が、自慢でもあり憧れでもあり、そしてコンプレックスも抱いていた。

あんな風になりたいけど、あんな風にはなれないよ、と。私のこの暗い気持ちは、お母さんにはわからないよ、わかるはずがないよ、と。そうして、そのまま突入していく、THE 反抗期。パーフェクト・マザーと根暗なSATTYの戦いの日々へ。

パーフェクト・マザー vs SATTY

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私は小学生から塾に通っていて、そこで中々友達ができずにいた。今思ってもびっくりするぐらい、友達作りが下手くそな子供だったのだ。

「もう、塾いきたくない」

決死の覚悟で打ち明けた一言も、母にはわかってもらえなかった。母には母なりの想いがあったんだろうと思う。しかし、当時の私は、強い母にはわかってもらえないんだ、と鬱々した感情だけを募らせていた。

二階の自室に受験勉強という建前でこもり、ひたすら漫画やら小説やらを読みふける日々。敵もなかなか手強く、階段を上る足音・気配をすっかりと消し去り私を油断させるのだ。階段の最後3段ほどから、突如ものすごい勢いで駆け上がり、突入してくる般若の形相の母は、今思い出しても恐怖でしかない。

母はパーフェクト・マザーでありながら、それはそれは厳しかった。これまでの人生で、顔を思いっきり殴られたのは、おそらく母だけだと思う。あの時、私も泣き喚いたけど、お母さんも大変だったよね。そこまでして人を叱るのは、とてつもなく気力がいるもの。なんであんなに怒られたのか、その理由は忘れてしまったけど、それだけ怒ってくれる人がいたという事だけは、きっと一生忘れないと思う。

鬼の目にも涙、いや、母の目に涙

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ある日、義理の祖父が死んだ。葬式に向かう新幹線で、私は初めて母が泣くのを見た。遥か昔に、母の実の父、つまり私のおじいちゃんが死んでから、いろいろな理由があって母がひとりぼっちで奮闘してきたことを私はこの時初めて知った。

母は、おじいちゃんの事が大好きで、大好きで、大好きで、そのおじいちゃんが死んでしまってから、いろんなことが受け入れられず、苦悩していたことを初めて知った。私にとって、その涙は衝撃だった。だって、母はパーフェクト・マザーだったから。

いつも明るく前向きで、太陽のように家族を照らしていた母が、ずっと抱えていた心の裏側を知り、私は母が自分と同じ1人の人間であることを、思い知った。何を言っても構わない、なぜって母はパーフェクト・マザーで私は未熟な子供なのだから、と母の強さを言い訳にたくさんの言葉で傷つけてきたことを、悔いた。

母だって、未熟な1人の人間だった。母が私を生んだのは30歳。まだたった30年しか生きていないただの若者だったのだ。

いちばん響いた母の言葉

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母と私には、たくさんの思い出があるのだけれど、その中でも一番心に残っていることがある。当時私は遠距離恋愛をしていて、その彼とどうやらもう別れの時が迫っていた。東京に行ってくる、なんの説明もなくそう言う私に母は怒った。何をしているんだ、と怒った。

後から聞くと、気がつけば東京へ足を運び、ふさぎ込む当時の私の様子に、父も母もかなり心配していたらしい。でも、私はそれどころではなかった。

私はこれから、東京まで別れ話をするためだけにいく、その張り裂けそうな心を分ってくれない母に、心の底から腹が立った。そうして大ゲンカの末、私は家を飛び出し東京へと向かった。

東京で奇妙なことに、これで別れるであろう彼と、とにかく楽しい思い出をひたすらに作った。互いに別れることがわかっているにも関わらず、ただ笑って過ごしていた。そしてそのまま、最後の一言が言えずに数日が経ち、私の心はもう限界だった。1人になった、コンビニの前。思わず電話をかけていたのは、母だった。大ゲンカしたまま、なんの連絡もせずにいた母の携帯を、無意識に呼び出していた。

怒られると思った。お前は何をしているんだと、今すぐ帰ってこいと、どやされると思った。しかし、電話口に出た母は、いつもとなんら変わらない調子で「もしもし?どうしたの?」と答え、その声を聞いた瞬間、私は号泣した。声にならない声で、ただひたすらに自分の想いをぶちまけた。自分がどうしようもないほどに、無理をしていたのだとこの時初めて気付いた。

一通りの話を聞き終えた母は、静かにこういった。

「3年も楽しくお付き合いしてきたんでしょう?大事にしてもらったんでしょう?いい人で良かったね。いいお付き合いができて良かった。ありがとうって、今まで向き合ってくれてありがとうって言って、帰ってきなさい。待ってるから。」 

母は彼を責めたりしなかった。私を哀れみもしなかった。下手ななぐさめもなく、期待をさせることもなく、私と彼の過ごした年月を、その言葉はただやさしく包み、踏み出せずにいる私の背中を押した。

「もう、想い出にしないといけない。」

そう知った私は、言えなかった最後の言葉と、母に言われたとおりの3年分の感謝を残し、母の待つ家へと帰った。

涙で目をパンパンに腫らした私を迎えてくれたのは、何も言わない母と、好物が並んだいつもの食卓で、私はその温かさが照れくさく、胸に染みて、また泣けた。

私の知らない母の人生があり、経験がある。母は、嬉しいことも悲しいことも苦しいことも、たくさんの出来事を受け入れ、感謝し、生きてきたのだろう。そんな母が、母として、そして一人の人として、私を励まし、精一杯のエールをくれたのだ、私はそう思っている。

最後に

私は私の母しか知らない。私にとっての母は、パーフェクト・マザーで般若のように恐ろしく、おしゃべり好きで、父が好きで、時々子供っぽくもあるが、時々その生き様を見せつけて迷う私の前にそっと光を照らす、そんな人。私にとって母親とは、私の母が全てだ。 

お母さん、これからも人生を一緒に楽しもう。

 

実はまだ書き足りないことがあるのだけれど、さすがにちょっと長くなりそうなので、ここから先はまた次の機会にとっておきたいと思う。母の日が近いもんだから、母のことを思ってのエントリー。

それではきょうはこの辺で。読んでくれてありがとう。

また、次のお話で。

このテーマは、同期ブログの企画です。

今回のテーマは、私も参加している同期ブログ発案の企画で書かせてもらいました。共通のテーマでみんな書いてみよう!というものですね。同期ブログに関わらず、どなたでも参加できるので、ぜひブロガーさん参加してみてください。

【参加条件】

1,テーマ:【子どものときの母親との思い出】※記事タイトルは自由。

2,どなたでも参加自由です。 ※同期ブログ参加者以外でも大丈夫です。

3,SNSに投稿するときに【#doukimc】のコメントをつけてください。 ※記事のタイトルにはつけなくてもいいです。

4,同期ブログ企画であることと同期ブログの紹介(http://kiyo378101.com/douki-blog/)をしてください。

5、他の参加者の記事を出来たら紹介してください。SNS上で【#doukimc】のタグで検索してもらえるとわかります。

6,こちらの参加条件を記事に書いてください。

この企画に参加しているエントリーを紹介します。

 

同期ブログ企画「親世代になって考える、子どものときの母親との思い出」 | まほろば風土記

子どものときの母との思い出~母の日&こどもの日 | きよちゃんのブログ

5歳の男の子が体験した壮絶な夜逃げ話します

【マザコン】と言われてもいい。限られた時間大切にします。| のぶろぐ〜好きをもとめて1光年〜

母から教わった、たった一言の言葉の重み | Jobmee

ACの私の、母との思い出【ブロガー連動企画記事】 - ヨミコのデザイン工房

【母の日】【子供の日】母親との子供の頃の思い出 | 考えるおやじ女子

これぞ母の愛! 銭湯でウンチを漏らしたとき、母がそっと石鹸箱に・・・ - もりブログ

 

オススメ・・!?『つかみとる恋愛論』作者の魂の叫びを聞いて!

ある晴れた日の、都内某所。

今日は、恋愛スペシャリストでありコラムニストでありコメンテーターで自称ドリーマーのSATTY氏に、最近発売され瞬く間に大ベストセラーとなった『つかみとる恋愛論』について話しを伺った。

待ち合わせの場所に現れたSATTY氏は、春だというのにくすんだ七色のダウンベストを着込み、まるで散歩に来たおばあちゃんのような出で立ちで、まず私のハートを鷲掴みにした。

色とりどりの花に誘われるように公園に足を踏み入れ、おもむろにブランコを漕ぎ出したSATTY氏に、一抹の不安を感じながらも、私は予定されている取材を決行することにする。

『つかみとる恋愛論』はこうして生まれた

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まず私は、今回SATTY氏が『つかみとる恋愛論』を執筆するに至った経緯について、尋ねてみる。

キーーーーーコ キーーーーーーーーコ・・・キーーーーーコ キーーーーーーーーコ

「簡単なことですね。自分にあてはまる恋愛論がまるでなかった、ただそれだけです。」(SATTY氏)

強気な発言に驚く私に、さらにSATTY氏はこう続けた。

「よく言われるじゃないですか。どれだけ好きな男がいても、最後は男に告白させろ・・・みたいな。なんていうんですか?恋愛のかけひきっていうんですか?男は本能で狩りをしているわけで、『自分のものにしたい!』という野生の心を呼び覚まさなければいけないとか。ね、言うでしょ、言いますよね。言ってるでしょ?」(SATTY氏)

恐ろしく迫ってくるSATTY氏の気迫におされ、私は曖昧に相槌をうつ。詳しいところは私も知らないが、男性に告白させるのが恋愛を長続きさせるコツ・・というような説は確かに存在する。

「あれ・・・もてる人の発言ですよね。そもそも。」(SATTY氏)

キーーーーーコ キーーーーーーーーコ・・・キーーーーーコ キーーーーーーーーコ

SATTY氏は、少し寂しそうに微笑むと、またしばしブランコに興じた。私は彼女の気がすむまで、振り子のようなその動きをぼんやりと眺めることにした。ブランコというのは、時にこんなにも枯れ果てた哀愁を漂わせるのか、私はそんなことを思った。

「もてる人っていうのはさ、そんなかけひきも楽しめるんですよ。別に恋愛論なんか読まなくたって、自力で勝負すればいいんですよ。撃沈したっていいじゃないですか、次がありますよ。必ず。だって、その気になれば男に告白させられるだけの女なんだから。

でも、そうじゃない女だっているわけでしょ。どんなにテクニック使おうと、気付いてすらもらえない。なんだったら、俺ら親友じゃん?とか言われる悲しい女がさ。いるわけですよ。じゃぁ、そういう女はどうすんの?って。『つかみとる』しかないでしょ。自分の惚れた男を全力で。」(SATTY氏)

のんびり待っているほどの、簡単な気持ちで惚れているわけじゃない・・と、そうSATTY氏は言った。心なしか、20歳ほど老け込んだように見える。

Dスケ氏とのエピソードについて

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そんな、自称「もてない」女だったというSATTY氏も、今は恋愛をし伴侶となる男性がいる。彼女は、夫となったDスケ氏との恋愛エピソードをこの『つかみとる恋愛論』の中で語っている。そこにこんな一文がある。

ー説得で始まる恋愛もあるんですよ。by SATTY

この一般的にはあまり聞かれないセリフについて、ご本人に語ってもらおうと思う。

「まぁ・・そもそも友人だったんですよね。私とDスケさんは。音楽仲間だったんですけど、何度か一緒に遊んでいるうちに、私わかったんですよ。この人、私のこと好きなんだろうな・・って」(SATTY氏)

もてない女という割には、簡単に人の好意を信じるタイプだなと思いつつも、私は先をうながした。止めると、いろいろ面倒なことになると、直感的に感じたからだ。

「付き合ってみてもいいんじゃない、的な話しを振ってみたわけですよね、これももちろん私からですけど。当然、OK!喜んで!・・って返事が来ると思うじゃないですか。だって彼、私のこと好きなんですから。

そしたら、びっくり。いや、それはちょっと・・とかいうわけですよ。エーーーーーって。エーーーーーって、たまげちゃった。私。

次に付き合う人は、結婚とかも考えたいし、って渋るわけですよ、彼ったら。まぁそこが誠実なんですけど。とにかく、彼、私のこと別に好きなわけでもなかったんですよね。」(SATTY氏)

やはり・・と私は思った。どうやら彼女は、ズッコケて手を差し出した男性の好意を、勘違いするタイプの女性らしい。どうやらマズイ人に取材をしてしまった・・そう感じる一方で、私はその先の展開が気にもなっていた。彼女はどうやって、そこからDスケ氏と結婚するにいたったのか。そこで、率直に聞いてみた。それでどうしたのですか、と。

「説得しました。」(SATTY氏)

キーーーーーコ キーーーーーーーーコ・・・キーーーーーコ キーーーーーーーーコ

鉄の軋む乾いた音だけが、私たちの間に響いている。

「1時間、いや2時間くらいかな」(SATTY氏)

・・・その時説得した内容はこうだという。

  • 結婚をするために付き合うわけではない
  • この時点で付き合えないと判断するほど私の何を知っているのか
  • 付き合わなければ、私の良さはきっとわからない
  • 嫌いでないのに付き合わない理由はない
  • 付き合って合わなければ別れればいい、どんなカップルもそうしている

そうしてDスケ氏は、その話を受け入れたという。彼の勇気に私は心か敬意を表したいと思う。しかし、その後二人は円満に愛を育み、結婚にいたり、今もなおその仲は周囲から羨まれる程だという。結果として、SATTY氏の主張は二人にとって正しかったのかもしれない。まさに彼女は『つかみとった』のだ。自分の求めるものを。

説得の裏側にこめられた想い

「私だって、彼から熱烈なアプローチ受けて、ちょっと考えさせて・・とか言ってみたかったですよ。でも、そうじゃなかったんだから、しょうがないじゃない。だからといって、彼を諦める気にもなれなかった。だから、私は全力で彼に想いを伝えたんです。

どんなにかっこ悪くても、しょうもない自分のプライドで後悔したくないじゃない。どうせ振られるなら、やるだけやってダッサダサに打ち砕かれた方が、立ち直りも早いってもんでしょ」(SATTY氏)

Dスケ氏の懐がただ深かっただけかもしれない。一つ間違えば、やや迷惑な人かもしれない。ただ私は恋愛におけるかけひき以前にある、まっすぐな気持ちの清々しさのようなものを、感じたのだ。

固く握手をしてSATTY氏と別れた後、私は悩んだ。これは一般の人に推奨してもいい恋愛論なんだろうか・・・

キーーーーーコ キーーーーーーーーコ・・・キーーーーーコ キーーーーーーーーコ

誰もいないブランコが、風にあおられて揺れている。まぁよい。こんな恋の形もあるのだ。

編集後記

こんにちは、SATTYです!

ほぼ9割私の体験談でお届けしています、今回のお話。楽しんでいただけたでしょうか?ちょっと前に撮っていた写真を見つけてちょっと遊んでしまいましたが、書いていることは、いたってマジメな本音です。ちなみに『つかみとる恋愛論』という名の本は残念ながらまだこの世にありません。

事実私は、Dスケさんを説得してお付き合いを始め、結婚して今にいたります。あの頃の話は私たちの間ではネタのようなものになっていますが、あの時頑張ってよかったなぁと思っています。不恰好でもいっちょ気合を入れて、本気を出さねばいかんこともあるんですよ、人生に一度や二度はね。

それでは今日はこの辺で。読んでくれてありがとう。

また、次のお話で。

 

PVのない日記ブログを書く私が、PVについて語ってしまっていい?

f:id:neoSatty:20150420020322j:plain

by Thomas Leuthard

こんにちは。SATTYです。

まずは、今日のエントリーは身内ネタになってしまいます、ごめんなさい。ただ、もしかしたら「同期ブログ」に興味がある方や、「ブログのPV」について悩んでいる方がいたら、ちょっと読んでみてもいいかもですよ。いいかもですよ。ピース

同期ブログについて

私は同期ブログっていうものに参加しています。同じ時期にブログを始めた、ブログの同期たちで交流を図るというものですね。詳細はこちらの『きよちゃんのブログ』でぜひ。

kiyo378101.com

今は40人もの仲間が集まっているのですが、恐れ多くも、実はワタシ参加者第1号なんですのよ。

ブログはじめたー、ブログいろいろあるなー、んーー、同期ブログーーー?なにそれーーおもしろそーーー、参加しマーース。ポチ。

という、恐ろしく安易な考えでもって、参加表明をしたのですが、あれから時はたち・・・同期ブログにはたくさんの参加者が増え、交流の場もどんどん増えています。

んで、なんで今になってこの記事をかいているか

さっきも言った通り、私同期ブログ参加者第1号なんです。今のそうそうたる参加メンバーを見たら、結構汗かく感じなんですけどね、実際。あんさん、もっと頑張りなはれって天の声が聞こえます。

で、先日同じ同期ブログのNoriさんのこんな記事を見て、ものすごい共感したもので、思わず書き出しています。たまには、そんなエントリーがあってもいいじゃん、いいじゃん。

Noriさんの記事がこちら。

jobmee.net

まずは、声を大にしていいたい

同じく同期ブログ内でもすさまじい勢いで刺激をぎゅんぎゅんくれている、宮森はやとさんが、ありがたいことに記事の中で私のブログを紹介してくださいました。

www.miyahaya.com

Noriさんはこの記事を読んで、危機感を感じた・・と、先述のエントリーを書かれています。すごくいいこと書かれているし、そうやって刺激をもらえるのは、同期ブログならではですよね。ただですね、一言だけ言いたい。言わしてくれ。

Noriさん、Noriさん、きいてきいて、あのね、実はね。

私のブログも読まれてないぞーーーーーーーー!!!ww

ふぅ・・・・

私のブログ、Noriさんと同じくらい。ここ数日で、少し増えてきたけど、ずーっと1日PV50なんてなかったです。今でも油断したら、ピロピロピロ〜〜って落ち込んじゃうでしょう。ここだけの話、同期ブログ発起人のきよちゃんに、密かに泣きついたこともございました。(きよちゃん、その節はありがとう!)

だから、めっちゃわかる、めっちゃわかるんですよ、お気持ちが。なので、書きます!ブログを始めて今日までの私の葛藤と、感じたこと、辿り着いた考え方をありのままにお伝えしたいと思います。これは、私なりのエールです!

同期ブログと比較しだして、迷子になる

同期ブログって、同じ時期に始めたがゆえに、悩むポイントとかも近しくて意見交換がしやすい。同時期に始めた仲間が頑張っているからこそ、自分もガンバンベーと励みになったりもします。でも、同時期に始めた仲間だからこそ、比較もしやすいものだと思うんです。

会社でもそうじゃないですか、同期がみんな出世していくのに、自分は平社員のまま。なんでや、なんでやねんなーーーー、と落ち込むことだってありますやん。ブログの世界では、それがわかりやすく「PV」だったりしますね。私はそうでした。

同期の面々が、輝かしくPVを上げていくのに、自分のPVはまるで大草原の小さなアリンコ。低いところを、一生懸命ウゴウゴとしておりましたですよ。そこで他のみんなと、PV比較し出すと、自分のブログが「悪い」ものに見えてきたんですね。面白くないから読まれないんだーって。恥ずかしーなんだこれーって。ブログの神様(架空)と何度会話したことかわかりません。

S「神様・・私はどうしたらいいんですか」

神「うむ、ライフハック記事を書いてみれ」

S「うーん、うーん、書けません・・・」

神「では、まとめ記事を書いてみるか」

S「うーん、うーん、そんなに何も知りません・・・」

神「WEBやってたんだから、そのあたりの技術記事はどうだ」

S「うーん、うーん、仕事だけで十分です・・・」

神「考え方について説いてみるか」

S「うーん、うーん、あんまり何も考えていません・・・」

神「じゃぁ何が書きたいんだ」

S「え、妄想とか・・?」

神「好きにせぇ」

S「ピキャーーー神様ーーーーーー」

こうなると、もう迷う迷う。他のみんなのブログを見ては「こういうブログを書かねばいかん」「こういうブログでなければ読まれんのだ」という正解を探す旅に出てしまい、正直書いていてあんまり楽しくなくなってきました。

PV1の重みを知る。救いの手、差し出されたの巻

この迷える子羊をラビリンスから救い出してくれたのが、やはり同期ブロガーだったり、ブログを読んでくれた友達でした。友達は、毎日ブログを読んでは私に感想を言ってくれるようになりました。「昨日の良かったよー」の一言が嬉しかったんです。「この記事良かったから、彼に見せてもいい?」の一言が嬉しかったんです。彼女が読んでくれた分は、私のアクセスカウンターで「PV1」とカウントされてることでしょう。重い、重いよね、この「PV1」。

また、同期ブロガーの方がTwitterや記事の中で、私の記事を紹介してくれました。私のブログのいいと思うところを書いてくれて、それがすごく励みになった。こういう記事を書いてみたら?って教えてくれて新しい気づきになった。人から見た自分の個性って、以外とわからないから、聞いてみるとすごく発見になります。

そっかー、人と違っても、PVなくても、読んでくれてる人は読んでくれてるし、面白いと思ってくれる人は面白いと思ってくれる。とにかく、余計なことは考えずに続けりゃいいじゃん。楽しんでさ。PVどうやって増やすかじゃなくて、誰に何をどうやって伝えようかって、そっちを悩んでみよう。おかげで、そう吹っ切れたんです。

ブログを読んだ人に何を伝えたいのか、が大切なのかな

なんでブログ始めたんだっけって、思い返しました。何度も。書いてる中で変化もしていきました。そして、私は自分の書いた文章で、小説を読んだ時のように、ちょっとキュンとしたり、ジンとしたり、クスッとしたり、そういう時間を届けたいんだなぁと気づきました。だから、私が取り組むべきは、どうしたらそういう時間を読者の方に届けられるか、ということです。

人それぞれここは違うんでしょうね。何かの技術をわかりやすく読者に伝えることを目標にしている方もいるだろうし、自分という人間の考え方を伝えたいという方もいるし、地方の魅力を発信したいという方もいる。みんなそれぞれの伝えたいことがあって、それに真摯に取り組めばいいんだと思うんですよね。ちょっと固いかな、まぁいっか。

なんせ楽しもう!ブログ!

何だかうだうだと、とりとめなく書いちゃいましたが、なんにしても、楽しみながら続けたいなと思うわけです。楽しめることが、一番強いんじゃないかな、なんでも。夢中で楽しんで楽しんで、続けていりゃーいろいろいいこともあるだろう!

だから、私はまだまだ少しの読者さんにしか読まれていないけど、胸を張っていいますとも。

少しでも読んでくれている人がいるんですよーーーーーww

とかいって。

いいじゃん、いいじゃん、Noriさんの書いた記事に激しく共感した私は、今こうして記事まで書いてます。私には、刺さったんです。グッサリと。これからも、あなたの書く記事を楽しみにしてるよ!というか、きっと言うている間に、ドキャーーンと私のPVなんか越えていくと思う。

それでも、その輝かしい姿を私はまぶしく見つめながら我が道を行くしかない。私にできることって自分が書けることを、一生懸命書くことだけなんだ、きっとそうなんだ。同期ブログといえど、同じ道なんてありえなくて、それぞれの道を、それぞれが進んでいくしかないんだ。そう思うんです。

さて、では今日はこの辺で。最後まで読んでくれてありがとう!

また次のお話で。